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日本の俳優、男性声優 (1960-) ウィキペディアから
植村 喜八郎(うえむら きはちろう、1960年9月5日[1][3] - )は、日本の男性俳優[3][2]、声優[2]。本名は同じ[4]。
小学生のころに観た『キイハンター』の千葉真一に憧れ、1978年に東映アクションタレントクラブの第一期生として、スタントマン兼俳優活動を開始[5]。同期には、『バトルフィーバーJ』で後半よりミスアメリカのスーツアクトレスとなる小野寺えい子がいた[6]。
東映アクションに2年ほど在籍したのち、倉田保昭主宰のアクション集団「倉田保昭とザ・カンフー」に入る[5]。しかし、「ザ・カンフー」は1年ほどで解散し、その後は知り合いの役者がいる芸能プロダクションに所属し俳優業を続けた[5]。
ふたたび東映アクションに練習をさせてもらうという名目で出入りするようになり、ヒーローショーなどにも出演していたころ、スーパー戦隊シリーズのオーディションを受けることとなる[5]。これに合格し、1986年から1987年まで放送された『超新星フラッシュマン』のダイ/グリーンフラッシュ役でレギュラー出演することとなった[5][2]。『超新星フラッシュマン』終了の1年後、演技の基礎を磨くために劇団青年座の研究所に入る[7](第14期生[8])。
1990年には『地球戦隊ファイブマン』の初代艦長シュバリエ役で出演[7][2]。2012年に『海賊戦隊ゴーカイジャー』に出演した際には、25年ぶりにダイ役を演じた[9][2]。
『超新星フラッシュマン』では、オーディション時の立てた髪型がテレビ朝日プロデューサーの加藤守啓に気に入られたと述べている[11]。
東映プロデューサーの鈴木武幸は、『地球戦隊ファイブマン』で植村を起用した理由について、戦隊の出演経験があり、アクションを得意としていたことを挙げている[12]。同作品で共演した藤敏也は、事前にJACから植村は殺陣がうまいと聞かされており、共演中にはかっこいいパンチやキックの決め方を教わったという[13]。
『ファイブマン』では、撮影初日が真夏の暑い日であったため日射病になりかけたが、言い出すことができず根性で乗り切ったという[11]。
『ゴーカイジャー』は、当時5歳の娘と共に視聴しており、依頼を受けたときは「やっと来たか」という思いであったという[2]。
『科学戦隊ダイナマン』のダイナイエロー・南郷耕作役の時田優と親交があり、時田の勧めで救命救急講習に参加し、2012年7月3日には実際に人命救助を行っている[14]。
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