浅沼稲次郎暗殺事件
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浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)は、1960年(昭和35年)10月12日(水曜日)に東京都千代田区の日比谷公会堂で開催された自民党・社会党・民社党3党首立会での演説中の浅沼稲次郎日本社会党中央執行委員会委員長(日本社会党党首)が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺された事件である。「浅沼社会党委員長暗殺事件」と称されることもある[1]。
浅沼稲次郎暗殺事件 | |
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![]() 浅沼稲次郎暗殺の瞬間 | |
場所 |
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標的 | 浅沼稲次郎日本社会党委員長 |
日付 | 1960年(昭和35年)10月12日 |
武器 | 脇差のような刃物 |
死亡者 | 浅沼稲次郎 |
犯人 | 山口二矢 |
容疑 | 殺人罪 |
動機 | 社会党への抗議 |
対処 | 山口の逮捕 |
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事件は少年の狙いの逆効果となり、事件前に日本社会党は党内の反共社会主義である民主社会主義派が民主社会党を創設という党内分裂もあり、議席減が予想されていたが、事件による同情の影響で1960年11月の衆議院総選挙で党首立会の3党のうち民社党のみ議席を減らし敗北した。民社党か社会党どちらが野党第一党となるかを決めた事件であり、日本社会党による野党第一党の地位獲得による55年体制確立の原因となった[2]。
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