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松田聖子をモデルとする髪型 ウィキペディアから
聖子ちゃんカット(せいこちゃんカット、1980年代前半は「聖子カット」とも呼ばれていた)は、日本の女性歌手・松田聖子がデビュー当時の1980年から1981年末までの約2年間にしていた髪型の通称。日本の若い女性の間で、これを模倣した髪型が流行した[1]。
以下、松田聖子の氏名の表記は特記を除き「聖子」で統一する。
1970年代、トップが短く、サイドからバックにかけてレイヤーを細かく入れた「サーファーカット」や「ウルフカット」が海外で流行り始め、中でも1976年から1981年にかけてアメリカで放映された、人気テレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』(日本では1977年から1982年に放送)に出演した女優のファラ・フォーセットが披露したサイドのレイヤーを外巻きにして、全体的にボリュームのある髪型は「ファラ・カット」と呼ばれ、世界中で流行した[2][3]。
可憐な容姿と歌声から日本国内でもアイドル的な人気を得ていた歌手、オリビア・ニュートン=ジョンは1977年に発売したアルバム『きらめく光のように』(Making a Good Thing Better) のジャケットにて、後の「聖子ちゃんカット」と酷似する髪型を披露している。
日本の芸能界においても、天地真理、坂口良子、風吹ジュン、桜田淳子、山口百恵、伊藤咲子、太田裕美、ピンク・レディー、石野真子らが流行を取り入れた髪型を披露している。キャンディーズの3人も、各々アレンジを加えたスタイルを施しており、中でも伊藤蘭のヘアスタイルは「蘭ちゃんカット」と呼ばれ、主に10代・20代の女性に支持された[4]。長髪の男性芸能人でも、沢田研二、野口五郎、西城秀樹、ずうとるび、長渕剛らが流行を取り入れた髪型を披露していた。
聖子にとっての起源については諸説あるが、後述する「HEAR DIMENSION」代表の飯塚保佑は、「あの髪型は聖子ちゃんの要望でした。海外の雑誌などを参考に、自分に合うスタイルを探していたみたいですね。ファラ・フォーセットやオリビア・ニュートン・ジョンなどに着想を得ていたんでしょう。」「当時はサーファーカットが流行していたんですが、レイヤーを入れてますから、風になびくとバサバサになるんです。それをアレンジして、アイドルにかぶせたのが聖子ちゃんカットなんです。」と語っている[5][注 1]。
この髪型は学生時代から大きく変わっていないと本人がコメントしており、堀越高校時代の写真[注 2]にその原型が確認できる他、1979年に初出演したテレビドラマ『おだいじに』や1980年のデビューシングル『裸足の季節』のジャケットなどでも見られる。デビューから暫くの期間は、専属のヘアメイクがおらず、事務所側も髪型やメイクに関しては「"松田聖子"から逸脱しなければ良い」と、ある程度本人に任せていた。上京後のヘアカットは、1984年頃まで所属事務所サンミュージック近くの美容室「HEAR DIMENSION」[注 3]四谷店で行っており、そこで担当の美容師[注 4]と相談しながら、このスタイルを作りあげていったという[5][7]。
セカンドシングル『青い珊瑚礁』辺りから、いわゆる「聖子ちゃんカット」と呼ばれるスタイルが確立され、聖子のトレードマークとなった。そして、トップアイドルとなった彼女のスタイルを真似ようと多くの女性たちが、この髪型を模倣する社会現象を引き起こした。そんな流行の真っ只中にあった聖子ちゃんカットだが、1981年末に本人の思い付きで突如訣別[8]。1982年1月発売のシングル『赤いスイートピー』のミディアムテンポのイメージに合わせて、バッサリとショートヘアにしてファンや世間を驚かせた。聖子によると、シングル『風立ちぬ』の頃からボリュームのある重苦しい髪を切りたかったという。しかし、イメージを重んじる事務所に止められていたため踏み切れずにいたが、最終的には独断で切ってしまったという。
1982年頃から、メイクアップアーティストの嶋田ちあきをヘアメイク担当に迎え[9]、"ぶりっ子"のイメージから転換すべく、流行を先取りした髪型やメイクを取り入れ、次第にアイドルからシンガーへと活動を移行していった。それに伴い、ライブなどでは衣装の一環としてウイッグを使用する事も多くなった。
2021年、デビュー記念日である4月1日より配信された楽曲『青い珊瑚礁 〜Blue Lagoon〜』のミュージックビデオにて、約40年ぶりに「聖子ちゃんカット」を披露して話題となった[10]。
長さはセミロング(±5cm程度)がベース。
前髪はやや多めにとり、長さはブローしたのちに目に掛からない長さに切り揃える(ぱっつんにはしない)。
サイドのレイヤー(段)カット[注 5]は、前髪とラインを繋げるようにして、トップから毛先まで細かくレイヤーを入れていく。
前髪の端から毛先にかけての顔周りに、アウトラインを入れる。
バックは、本人の嗜好や美容師の判断などによって人様々で、ローレイヤーカット(聖子はこのカット)、グラデーションカット、ワンレングスにする場合があった。
ブローは、バックの髪を内側に緩くカールしてベースを整える。トップからサイドは外向き(外巻き)にブラシを動かし、毛先を後ろに流して動きを出す。前髪はふんわりと内巻きにカール。眉を隠し、目に掛からないギリギリ[注 6]にアンダーラインが来るようブローする。
髪全体にパーマをかけるとスタイリングしやすく、長い時間髪型をキープ出来る[注 7]。当時の聖子の髪は細く毛量も少なかったため、サイドの段カットを細かく入れて"鳥の羽のように"軽やかにボリュームを出すブローをしていた。
聖子の人気が右肩上がりになるにつれ、学生や若い女性たちの間で「聖子ちゃんカット」を真似る女性が急増。しかし、このスタイリングは従来のヘアドライヤーとヘアブラシを駆使して一人で行うには難易度が高く、特に時間に追われる朝の支度は大変であった。そこで、ブラシとドライヤーが一体化したハンディタイプのヘアドライヤー(一般に「カールドライヤー」「くるくるドライヤー」と呼ばれる)が人気商品になった[11][12][注 8]。
その流れは芸能界の中にも及び、1980年代におけるアイドルの定番ヘアスタイルとして定着していった[1][8]。 1982年にデビューした「花の82年組」と呼ばれる女性アイドルたち(小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら)もほぼ全員それに倣い、後に聖子のライバルと呼ばれた中森明菜も『スター誕生!』出場時やデビュー当初に、聖子ちゃんカットに近いヘアスタイルであった。
その後、聖子自身がこのスタイルをやめて、ショートヘア、ストレートパーマ、ソバージュなど楽曲ごとに髪型を変えていた事もあり、1980年代半ば辺りには、王道の聖子ちゃんカットの人気は下火になる。しかし、多くの芸能事務所は、新人女性アイドルをデビューさせるにあたり、前髪の分量や長さなどは違えど、聖子ちゃんカットをベースにしたヘアスタイルを推奨していた(1984年デビューの菊池桃子や、聖子の後輩である岡田有希子、1985年デビューの中山美穂[1]、浅香唯、森口博子、1986年デビューの西村知美、モモコクラブのメンバーの多くなど)。
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