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森口博子

日本の女性歌手、タレント (1968-) ウィキペディアから

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森口 博子(もりぐち ひろこ、1968年昭和43年〉6月13日[1][4] - )は、日本歌手声優タレント司会者。本名、花村 博美[1][5](はなむら ひろみ)。

概要 プロフィール, 生年月日 ...

福岡県福岡市南区大楠出身[2]。ノーリーズン(第一プログループ)所属。デビュー時のキャッチフレーズは「よかった。君がいて」であった。元祖バラドル[6]の代表格。

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来歴

要約
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福岡市立高宮中学校卒、福岡県立福岡中央高等学校入学後、レコードデビューを機に高校2年の2学期に堀越高等学校芸能コースに転校し[7]同高卒業。堀越高等学校での同級生には、荻野目洋子武田久美子井森美幸岩井小百合村田恵里高橋美枝などがいた。

4人姉妹の末っ子[1]。8歳の時に両親が離婚した後、4人姉妹は母親の元で育てられるが、母親の教育は恋愛禁止などかなり厳しかった。しかし、生活が苦しい中でも母は幼少時代から歌手に憧れる森口の夢を応援しており、多くの歌合戦に積極的に出場させてくれたという[8]

中学生になると、福岡のスクールメイツに所属してレッスンを積む傍ら、80年代のアイドル[注釈 1]が福岡でコンサートを開いた時[9]やその他音楽番組などでバックダンサーをしていた。アイドル歌手を目指して、数多くのオーディション[注釈 2]を100個以上受けたが、落選続きだった。

アイドル歌手デビュー

NHK総合勝ち抜き歌謡天国』(1985年3月[1])[11]で準優勝したことがデビューに繋がった。1985年8月5日[1]スターチャイルドキングレコード)からアニメ『機動戦士Ζガンダム』の後期オープニングテーマ曲「水の星へ愛をこめて」でアイドル歌手としてデビューし、オリコン16位のスマッシュヒットとなった。

ちなみに1985年5月のオーディションから始まって6月にレコーディング、7月に福岡から上京して8月にはレコードデビューという慌ただしいスタートだった[12]。同期に本田美奈子.森川美穂中山美穂芳本美代子斉藤由貴南野陽子浅香唯井森美幸松本典子大西結花中村繁之若林志穂らがいる。

しかし、次以降の曲にヒットが続かず、歌手としての認知度向上にはならなかった[注釈 3]1988年、アニメ『鎧伝サムライトルーパー』が当時のアニメ好きな女子中高生を中心にヒットし、後期テーマ曲であった「サムライハート」も人気を博し、オリコンのシングルランキングで、88位にチャートインした。

転機

高校卒業を前にして所属事務所からリストラ宣告され、福岡に帰されそうになるが、泣きながら「なんでもやりますから帰さないで」と懇願。事務所からもらった最初の仕事は、バラエティ番組の企画で「雄ロバを口説いてきなさい」というもので「何をやっているんだろうと思ったけど、ここでやらないと全国の人に顔を覚えてもらえない」とバラエティの仕事を「一生懸命」やった[注釈 4]結果[7]、その後は、歌手としての活動よりもクイズ番組やバラエティ番組の出演が多くなり、トーク中心のキャラクターを磨いていく[14]

フジテレビものまね王座決定戦』で、工藤静香のものまねを披露して優勝。抜群のノリとその明るさで、当時既にバラドルとして活躍していた後輩の山瀬まみや、同期で親友の井森美幸、先輩の松本明子らと名を連ねる。また、自慢の美肌やスタイルをアピールした写真集も発売された。

1990年代~2000年代

1991年、劇場版アニメ『機動戦士ガンダムF91』の主題歌「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」(以下、「ETERNAL WIND」)が、自身最大のヒット曲となる(後述)。この曲を契機に、ガンダムファンやアイドルファンだけでなく、バラドルとしての彼女を知る一般層にも歌手として認知されるようになった。

その後の曲もヒットし、『NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)には第42回1991年)から第47回1996年)まで、6年連続で通算6回出場した。実現には至らなかったものの、この間に幾度も紅組司会の候補に挙がった。

また、この年はバラドルとしての露出が激増した3年目にあたり、1週間全ての曜日のバラエティ番組(合計12本[15])にレギュラー出演していた[注釈 5]。翌1992年からは初の冠番組としての「夢がMORI MORI」(1992〜1995)が始まり、バラドルとしての絶頂期を迎える。

女優業では、2003年度NHK総合連続テレビ小説てるてる家族』で弘子役を演じる。TBS愛の劇場』でも2作品に主演するなど、コンスタントにお茶の間の人気者として活躍している。

2005年12月香川伸行が監督に就任して結成された社会人野球チームの、福岡美咲ブラッサムズ(現・福岡オーシャンズ9)で総監督に就任。しかし、2006年をもって香川らと共に退団した。

2010年代

2012年2月28日南野陽子西村知美との3人組ユニット「Blooming Girls」の結成を発表[16][17]。同年6月13日、「Blooming Girls」としてデビューシングル「Knock!! Knock!! Knock!!」を発売。オリコン週間チャート66位を記録。2017年以降、大晦日のももいろ歌合戦BS日テレフジテレビNEXTニッポン放送など)に出場。

2017年開始の番組『Anison Days』ではMCとともにアニメソングの紹介、歌唱を行っている。

2019年8月7日に「ガンダムシリーズ」の主題歌やエンディングテーマなどのカバーアルバム『GUNDAM SONG COVERS』を、2020年9月16日に第2弾となる『GUNDAM SONG COVERS 2』、2022年3月9日に第3弾となる『GUNDAM SONG COVERS 3』をそれぞれ発売しヒット(後述)。

2020年代

2021年8月4日、24年ぶりのオリジナルアルバムとなる『蒼い生命』を発売[注釈 6]。同アルバムの新曲は全て、森口が作詞に携わっている[18]

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エピソード

要約
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子供時代

4歳の時点で既に将来の夢は、歌手になることだった[8]。本人によると、幼稚園児の時に地元テレビ局ののど自慢番組で麻丘めぐみの「芽ばえ」を歌唱。5歳で全国放送の『ちびっこものまね紅白歌合戦[注釈 7]に初出場したのを皮切りに小学6年生までほぼ毎年出場し、当時人気だった70年代女性アイドル[注釈 8]の歌を歌った。当時は出演のたびに福岡から上京しては中野サンプラザのステージで生バンドの演奏で歌い、観客の拍手に包まれる快感を覚え「私の居場所はここだ、絶対に歌手になる」と決意を固くしたという[8]。本人は、この頃のステージ歌唱を“ライブの原体験”と位置づけている[注釈 9]

小学生の頃からボイストレーニングやダンスレッスンに通い出し、その後生徒の中でも優秀だったことから特別に月謝が免除になり家計が助かったとのこと。小学生時代にテレビの歌番組に何度か出た経験から歌には自信があり、中学生になるとクラスメートから色々と「あの歌を歌って」とせがまれては教室で上機嫌で歌っていた[9]。しかし、後日オーディションを受け始めると落選が続いたことで、初めて「あ、私って大したことなかったんだ」と気づいたという[9]。ちなみにこの頃書いていた日記の内容は、オーディションの落選続きに対する苦悩がほとんどだったという[注釈 10][12]

不遇な高校時代

本人は『Zガンダム』の主題歌で歌手デビューできたこと自体は喜んだが、同時に「当時の私は、王道のアイドルとは少し違う扱いでした」と回想している[注釈 11]。森口によると「当時期待されていたアイドルは春にデビューすることが多かった」とのことで、期待された他のアイドルと違いデビューが8月でプロモーションの時期もズレていたとしている[13]

また、森口によると当時の芸能事務所やレコード会社には、『この子に(社運を)賭ける』というような一押しの歌手が一人いたとしている。しかし森口の場合、事務所には同期の松本典子、レコード会社の同期には中山美穂[注釈 12]がいて、「私はどっちの会社でも“一番”じゃなかった」と回想している[注釈 13]

福岡の高校から転校した堀越高校の芸能コースでは、荻野目洋子、武田久美子、井森美幸と同じクラスに転入した[10]。その後、仕事が忙しく学校を欠席することが多い荻野目たちに比べて、森口は仕事が少なすぎて皆勤賞になりかけるくらい毎日学校に通っていた。自分だけ学校にいるのが辛くなり、時には嘘の早退届を出して仕事に行くフリをするなど惨めな思いもしたという[注釈 14]

ただし、そんな状況でも当時は福岡に帰りたいと思ったことは一度もなく、後年「人前で歌いたい一心だったし、(レコードデビューはしたもののまだまだ知名度は低く)スタートラインにも立ててないと感じていた。とにかく“チャンスさえもらえたら”と思い続けていた」と回想している[10]

バラドルとして

バラエティ番組には当初乗り気ではなかったが、「とにかくまずは名前と顔を覚えてもらって、いつか絶対に歌につなげるんだ」と覚悟を決めて臨むようになったという。その後、だんだんバラエティの仕事における楽しさややりがいを感じるようになり、1987年くらいから徐々にバラドルとして活躍し始める[15]

特に1991年頃は多忙を極め、時には移動時間が含まれていないスケジュールがあったり[注釈 15]、全ての収録を終えて家に帰っても寝る時間がほとんどなかった[注釈 16]。また、1992年に『夢がMORIMORI』が始まった時は多忙により体調が不安定なことが多かったとのこと[注釈 17][注釈 18]

本人は後年「(バラエティ番組出演という形で)チャンスを下さったスタッフやテレビ局の方には本当に感謝してします。あの時名前と顔を覚えてもらったから、今でも大好きな歌が歌えている部分は間違いなくあります」と感謝を述べている[13]

イントロクイズが得意ということで、フジテレビ系で『クイズ・ドレミファドン!』でMVPを獲得したことがある。しかし本人曰く、空気をちゃんと読んでいたものの番組を視ているファンの心理を考えると「答えなければ」という気持ちになって、正解を多く重ねた(この番組での総正解数は「36問」とのこと)が、それで後に同番組には呼ばれなくなったという[19]

歌手としての転換期

2015年のシングル「星より先に見つけてあげる」をリリースした頃から、ネットで「森口博子がスゴい」、「歌唱力に磨きがかかってる」などの声が上がったという。これについて森口は、2007年に『タイタニック』でミュージカルに初挑戦したことがきっかけで歌い方が変わり、歌手としての大きな転換期になったとしている[20]

『タイタニック』ではオペラを基調とした曲が使われ、共演者のほとんどがミュージカル経験者だった。そんな中、ポップス出身の森口は稽古中何をやっても、外国人の演出家から「ノーノーノー!」、「キルユー!」などとダメ出しをされ続けた。その稽古中、風邪をひいてしんどかったため念のため病院で血液検査をした所、血液中のストレス数値が“プロボクサーの試合直前の極限状態”ぐらいあり、医者から「相当ストレス抱えてますね」と言われたという[20]

本作の稽古は大変ではあったが、演出家から歌い方に徹底的なダメ出しをされ、ボイトレにも以前より真剣に通うようになった。これらのおかげで声の幅や表現力が目に見えて変わったことが自信にも繋がり、以前に増して周囲から好評価を得ているという[注釈 19]

ガンダムソング関連

『ガンダム』シリーズ作品の主題歌やテーマソングを年代ごとに歌唱を担当(シングル発売)している(10代「水の星へ愛をこめて」、20代「ETERNAL WIND」、30代「もうひとつの未来 〜starry spirits〜」及び「それでも、生きる」(ゲーム『SDガンダム GGENERATION SPIRITS』のOPとEDの各テーマソング)、40代「宇宙の彼方で」(劇場版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅳ 運命の前夜』の主題歌)、50代「Ubugoe」(劇場版『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』主題歌)[21])。後年「世代も国境も超えるアニソンは私にとって永遠の宝物。ガンダムファンのみんなと繋がることができて幸せ!」とコメントしている[22]

デビュー曲「水の星へ愛をこめて」

10代の頃に先述の歌番組『勝ち抜き歌謡天国』に出たことで、レコード会社から機動戦士Zガンダムの主題歌「水の星へ愛をこめて」のオーディション参加に誘われた。そのオーディション時、キングレコードのディレクターから「声がすごく良かった」とスカウトされて所属が決まった[注釈 20]

「水の星へ愛をこめて」のレコーディングは、転校前だったため福岡の高校に通いながら行った。この時、ディレクターから「この曲は上手に歌おうと思わなくていいからね。言葉を大切に語尾を大事に歌ってほしい。君が大人になって何十年経っても歌える歌だから」と助言された[注釈 21]。そのディレクターは40代で亡くなってしまったが、森口は今(2021年9月)もこの曲を歌うたびにレコーディング時のやり取りを思い出すとのこと[12]

その後同曲は、2018年5月5日にガンダム40周年を記念してNHK BSプレミアムで放送された、『発表!全ガンダム大投票』のガンダムソングス部門で1位を獲得[23][注釈 22]

「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」

バラドルで人気タレントとなった後の1991年に、「機動戦士ガンダムF91」の主題歌「ETERNAL WIND」でオリコンシングルチャート最高9位になり自身初となるオリコン週間チャートでベスト10入りした。その後27週にわたってベスト100以内に留まり、年間ランキングでも47位に入った。

同曲で『紅白歌合戦』に初出場を果たすと、視聴者から「森口博子って歌手だったんだ」という反響が大きく、本人は後年「(デビューから7年目にして)この時やっと歌手としてのスタートラインに立てたと実感しました」と述べている。この時の紅白では、「ETERNAL WIND」の歌詞を少しだけ間違えている[注釈 23]

その後同曲は、先述の『発表!全ガンダム大投票』のガンダムソングス部門で3位にランクインしている。

「宇宙の彼方で」

機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅳ 運命の前夜』の主題歌「宇宙の彼方で」は、当初制作サイドから「森口さんは“女神様”のようなポジションで歌っていただけたら。(作中で描かれる)大変な争いごとを俯瞰で捉えているような立場で歌って下さい」とオファーされた。森雪之丞のストレートで衝撃的な歌詞に服部隆之の美しくて切なくて壮大なスペースオペラの楽曲ということで、歌いこなせるか不安になった。しかしプロデューサーから「瓦礫とか屍みたいな衝撃的な言葉でも、森口さんに歌ってもらうとスーッと自然に届けられると思う」と言われたことで「よし!やってみよう」と前向きにレコーディングに臨めたとのこと[22]

本人は「『機動戦士Zガンダム』でデビューした私が、ガンダムの歴史の始まりの歌(「宇宙の彼方」[注釈 24])を歌うっていう、この奇跡のバトンに感動しました」とコメントしている[22]

その他

2012年8月25日のアニメロサマーライブ1日目にシークレットゲストとして登場し「水の星へ愛をこめて」と「ETERNAL WIND」を披露した。2015年6月20日・21日のKING SUPER LIVE 2015にも出演し、同じくこの2曲を披露している。

2019年に発売したカバーアルバム『GUNDAM SONG COVERS』は8月19日付オリコン週間アルバムチャートで3位となり自己最高位を更新。これにより1991年に発売したアルバム『Eternal Songs』以来28年2か月ぶりにトップ10入りし、女性アーティストのアルバムTOP10入りインターバル記録を更新した[25]。また、このアルバムによって第61回日本レコード大賞企画賞を受賞している[26]

2020年に発売した第2弾のカバーアルバム『GUNDAM SONG COVERS2』は、前作を上回るオリコン週間アルバムチャートで2位を獲得[8]

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人物

要約
視点

芸名や愛称など

芸名

森口博子という芸名は、平尾昌晃歌謡教室(現・平尾昌晃ミュージックスクール)時代の恩師でもある平尾昌晃の命名。姓の「森口」はプロゴルファーの森口祐子から拝借したが、「森口博美」では字画が悪いという理由で名を「博子」に変えた[27]

愛称

  • 「花ちゃん」 - 小学校低学年の頃に本名から[28]
  • 「もげ」 - 小学校高学年の頃に本名の花村という姓を元に同級生から「ハナモゲラ」→「もげ」(及び「もげしゃん」)と呼ばれるようになり高校時代までの間に変遷していったもの。2015年時点でもコンサートに訪れた学生時代の友人からは、この愛称で呼ばれている[28]
  • 「ムーチョ」 - 堀越時代に本人が湖池屋のお菓子「カラムーチョ」ばかり食べていたことから。
  • 「ピロ子」 - バラドル時代に放送作家の鈴木おさむから、「森口さんも(ラジオパーソナリティの松本ともこ[注釈 25]さんの“マッピー”みたいに)何かニックネームを考えた方がいい」との助言から生まれた[29]。、現在(2020年時点)も使われている[30]
  • 「ガンダム姉さん」、「ガンダムの女神」 - いつ頃からかは不明だが主にガンダムファンなどからこう呼ばれている[22][31]

考え方など

若い頃は多忙なスケジュールも気合で乗り切れたが、厄年である32歳(2000年頃)になった頃から胃腸の調子が悪くなるなど、忙しさからくる体調の変化がはっきりと出るようになった。これについて本人は、“生き方(仕事や生活環境)を見直す神様からのメッセージ”として、それ以降体を温めるものを取り入れるなど食事を気にしたり、毎朝20分間のストレッチを始めた[20]。また、母から「笑顔でいれば運気が上がる」との助言ももらい、これらにより回復するとバラエティの仕事中心だったのが徐々に歌の仕事や『タイタニック』の舞台などの仕事が増えて行き、声量も増えるなど全てが好転したとのこと[24]

恋愛について若い頃は、「年上好きで、年下はチャラチャラしてそうで嫌」と思っていた。ただし、その後考えが少し変わったようで、2016年頃にタクシー待ちで偶然出会った20代のイケメンにナンパされた時は「ちょっと嬉しかった」としている[20]。また結婚に対しても当時は、「白馬の王子様と30歳までにしたい」などと言っていた。

実生活ではこれまでに何度か結婚の話はあったそうだが、「仕事を辞めて家庭に入ってほしい」という考えの男性がほとんどで、本人は「その選択は考えられなかった」として破局に至ったという。現在(2021年9月)は少なからず結婚願望を持ちながらも、一人の自由な生活が気に入っているという[注釈 26][32]

酒類は、一切飲めない[20]

対人関係

中学校の先輩にあたるタモリとは、番組総合司会者を務めた『笑っていいとも!』で共演(森口は1989年10月から1997年3月までレギュラーとして出演)。タモリについて「芸能界の頼もしい大先輩であり私にとっては身近な親戚のおじさんのような、時にはいたずら少年のような面白い人」と評している。タモリにはたまに相談事をしてはアドバイスをもらっているとのこと[注釈 27][注釈 28]

母校である福岡市立高宮中学校には先輩にタモリの他、髙橋真梨子、後輩に博多華丸氷川きよしなどがいる。

志村けんとはコントで共演した事が多く、笑いの師匠として尊敬している[33]

歌手の荻野目洋子とは高校時代のクラスメイトで現在でもとても仲が良く、テレビ番組での共演も多い。

同じくクラスメイトだった親友の井森美幸とは、今(2021年9月)でもたまに電話してはお互いを褒め合っているとのこと[18]

松田聖子のデビュー当初からの大ファンで、自身のデビュー後に歌番組で何度か共演している。ある年の松田の誕生日にプレゼントを贈った所、後日お返しに「博子ちゃんへ。いつも元気をもらっています」との手紙と共に松田のブランドのジージャンをもらっており、宝物のように大事にしているとのこと[9]

ディスコグラフィー

シングル

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コラボレーション

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オリジナル・アルバム

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ミニ・アルバム

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カバー・アルバム

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ベスト・アルバム

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映像作品

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参加楽曲

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タイアップ一覧

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出演

要約
視点

バラエティ番組

音楽番組

1985年12月15日 上級生
1986年3月16日 すみれの気持ち

NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度/放送回, 曲目 ...

第41回(1990年)はゲスト出演している。

テレビドラマ

その他のテレビ番組

ラジオ番組

舞台

  • ミュージカル BAD BOYS BAD GIRLS(1987年)
  • とげぬき音楽隊(2002年)
  • 孤愁の岸(2004年)
  • 大須純情音楽隊(2006年)
  • 阿修羅のごとく(2006年)
  • ミュージカル タイタニック(2007年)
  • ミュージカル SHOUT! (2008年)
  • ミュージカル アニー(2010年) - ミス・ハニガン役
  • 桂由美物語(2016年)

映画

テレビアニメ

ネット配信

  • つか金フライデーDOUGA (2011年7月1日 - 10月6日、見参楽(現・フジテレビ+))

CM

ゲーム

出版物

書籍
  • フレッシュスコラ14(1988年、スコラ
  • 別冊スコラ16「WOW!」(1990年、スコラ)
  • 元気な恋してる?(1992年、祥伝社
  • 悩んだら森口に聞け!(1992年、光文社
  • モリグチの元気だってば! みんな悩んで大きくなぁれ! (1992年、学習研究社
  • もっとうまく好きと言えたなら(1995年、エフエム東京
ビデオ
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主なものまねネタ

脚注

外部リンク

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