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室町時代から近世初期にかけての文芸のジャンル ウィキペディアから
軍記物(ぐんきもの)とは、中世末期(室町時代)から近世初期にかけて、戦国武将や近世大名の武勲や武功について物語形式で記述した書物である。
「軍記」は武士が登場し合戦が相次ぐ中世の動乱をもっともよく代表する文芸のジャンルである。この「軍記」を細かく分けると、『将門記』・『陸奥話記』などの先駆的な作品を「初期軍記」、『平家物語』から『太平記』までのものを「前期軍記」、室町時代以後のものが「後期軍記」となる。
「初期軍記」、「前期軍記」は国文学研究における「軍記物語・軍記文学」に相当するのに対し、(本項の「軍記物」に相当する)「後期軍記」はより文芸作品から離れて実録・家伝の色合いを強めていく。中世史の研究においては軍記物を通じた研究が行われる場合もある。その場合には、軍記物が特定の武士や家に対する顕彰的要素や創作的要素を含むものであることを前提にする必要がある一方で、そこから作者が持つ「家」や「先祖」に対する意識などを見出すことも可能である[1]。
「後期軍記」においては、応仁の乱を描いた『応仁記』までを「室町軍記」、それ以後の戦国時代の戦乱を描いたものを「戦国軍記」と細分化する方法が存在する。さらに、「戦国軍記」には、戦国時代において筆録された物と、近世に筆録された物とが存在し、後者を「近世軍記」と区別する方法も存在する。
これらの書が書かれた背景には、元和偃武により江戸幕府の基礎が固まり、各大名家が自家の正当性、高貴性を主張するために系図を改竄するなどした時代の風潮の中で、「わが家の今日の厚遇があるのは、先祖のこのような命がけの武勲のおかげであり、正当な報酬なのである」という主張をする意図があったと考えられる。 また、子孫に対して先祖の偉業を知らしめる目的もあったと思われる。
軍記物は、ほとんど各大名家ごとに存在するといっても過言ではなく、群書類従、続群書類従の合戦部、史籍集覧、国史叢書などに数多く収録されている。しかしながら、子孫の口述や風聞を元に記録されたものが多く、書状などの一次史料と一致しない記事、また改竄された系図に倣う記事などもあり、記録としての正確性は軍記物ごとに様々である。
また、「初期軍記」、「前期軍記」などの軍記物語が結晶度の高い文学として見るべき作品が多く関心が高いのに対し、「後期軍記」(軍記物)は顧みられることは少ない。しかしながら、「後期軍記」、特に「戦国軍記」は全国的な広がりを持ち、軍記がもっとも多様な展開を見せた時期であるといえる。この「戦国軍記」は基礎的な調査研究はほとんどなされておらず、原文のまま活字化されておらず現代語訳の無いものがほとんどであり、活字化されているものは数百あるうちのごく一部に過ぎないのが現状である[2]。
以下は、戦国軍記事典(和泉書院)を参考とした。
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