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群書類従

塙保己一が編纂した国学・国史を主とする一大叢書 ウィキペディアから

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群書類従』(ぐんしょるいじゅう)は、塙保己一編纂した国学国史を主とする一大叢書

国史の研究において貴重な文献の散逸を危惧した塙保己一がそれらを叢書にまとめようと、1779年安永8年)、菅原道真を祀る北野天満宮に刊行を誓った。江戸幕府や諸大名・寺社公家などの協力を得て、収集・編纂した。

古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めている。寛政5年(1793年) - 文政2年(1819年)に木版で刊行された。

歴史学国学国文学等の学術的な研究に、多大な貢献をしている。

構成

正編は1273種530巻666冊からなり、以下の25部に分類されている。分類は菅原道真の「類聚国史」にならったものである。

活字本には経済雑誌社版(1883年-1902年、19冊)、群書類従刊行会版(1952-1955年、30冊)などがある。

  1. 神祇
  2. 帝王
  3. 補任
  4. 系譜
  5. 伝部
  6. 官職
  7. 律令
  8. 公事
  9. 装束
  10. 文筆
  11. 消息
  12. 和歌
  13. 連歌
  14. 物語
  15. 日記
  16. 紀行
  17. 管弦部
  18. 蹴鞠
  19. 遊戯部
  20. 飲食部
  21. 合戦
  22. 武家
  23. 釈字部
  24. 雑部

続群書類従

正編と同様に25部に分かち2103種、1000巻、1185冊の一大叢書。

群書類従の編纂が軌道にのった頃、塙保己一が続編を企画した。保己一の没後、文政5年(1822年)に子の忠宝が幕府に書目(目録)を提出。刊行を始めたが、未完成のまま中断していた。

経済雑誌社1902年明治35年)から1914年大正3年)にかけて活字本を刊行したが、第19輯までで中断。その後、1922年(大正11年)に残りの刊行を目的として「続群書類従完成会」が設立され、1923年(大正12年)から1928年昭和3年)にかけて第20輯上から第33輯下までが刊行された。さらに戦後、書目にありながら所在不明となっていた欠本の調査が進められ、1969年(昭和44年)に第34輯、1972年(昭和47年)に第35-37輯が刊行され、完結した[1]
活字本は全体で86冊になる。

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その他

  • 塙保己一は群書類従の版木を製作させる際、なるべく20字×20行の400字詰に統一させた。現在の原稿用紙の基本様式となっている。
  • 群書類従の版木は温故学会 が所蔵管理している。
  • 明治時代以降に、国書刊行会(1905年設立の出版団体、1971年設立の同名の出版社とは無関係)により、『続々群書類従』(神祗部、史伝部、記録部、法制部、地理部、教育部、宗教部、詩文部、歌文部、雑部)、『新群書類従』(演劇部、歌曲部、書目部、舞曲部、歌曲部、狂歌部)が編纂された。
  • 「続群書類従完成会」は、その後も史料集を中心に出版事業を行っていたが、2006年9月に不渡りを出し事実上倒産した[2][3]。同社は会社更生法の申請を行わず、破産の申し立て東京地方裁判所に行った[4]。2007年6月より、八木書店が『群書類従』などの出版事業を引き継いだ。また、2014年10月1日より『群書類従』(30冊)、『続群書類従』(86冊)、『続々群書類従』(17冊)の全文がデータベース化されジャパンナレッジ上で公開されている。

『群書類従』収録文献一覧

凡例

  • 『群書類従』に収録されている文献の一覧である。
  • 同一の文献でも複数の資料名があるものがあるが、ここでは続群書類従完成会本の『群書類従』に記載されている資料名を用いた。
  • これらの文献は、日本の歴史・文化・芸能・芸術を知るための基本的文献であると考えられ、文献研究も他の資料と比較して盛んに行われていることから、全て資料名に項目リンクを付けておく。ただし、適宜省略しても良いと思われる。

一覧

さらに見る 通し番号, 部 ...
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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