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はちみつぱい
日本のロックバンド ウィキペディアから
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はちみつぱいは、1970年代に活動した日本のロックバンド。はっぴいえんどと共に、日本語ロックの先駆者として知られる[1]。バンド名はビートルズの「Honey Pie」を日本語訳したもので[1]、初期の頃はハチミツパイと表記されることもあった。はっぴいえんどにも関わった鈴木慶一が中心となって結成したバンドで、ムーンライダーズの実質的な前身となった。
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略歴
1970年、鈴木慶一はあがた森魚らと共にあがた精神病院を結成。後にあがた森魚と蜂蜜麺麭(はちみつぱい)と名前を変えるが、メンバーは一定せず、独立したバンドというより、あがた森魚のバックバンド的な活動を行っていた。これを前身として、翌1971年から蜂蜜ぱいと名乗り、あがたとは独立したロックバンドとしての活動を行うようになる。渋谷百軒店のライブハウス「B.Y.G.」への出演を活動の中心に、あがた森魚、岡林信康、西岡恭蔵などのアルバムのレコーディングにも参加した。
1971年8月、鈴木慶一、渡辺勝、本多信介の3名で第3回全日本フォークジャンボリーに出演。これをきっかけに和田博巳が加入。1971年秋頃にはセッションを通じて武川雅寛が、オーディションでかしぶち哲郎が加入し、主要メンバーが揃う。
1972年4月30日の『ヤング・インパルス』出演時はまだ蜂蜜ぱい表記であった[2]が、同年春頃にはちみつぱい表記へ改めた。同年5月、春一番コンサートに出演。同年9月に渡辺勝が脱退し、入れ替わる形でペダルスティールの駒沢裕城が加入。ヴァイオリンの武川と共に、はちみつぱいのサウンドを独特なものとした。
1973年11月、ファーストアルバム『センチメンタル通り』をリリース。続いて翌1974年5月にはシングル『君と
1974年11月20日、山野ホールでの「はちみつぱい解散コンサート」を最後に解散。コンサートでの最後の曲は「塀の上で」、鈴木慶一の最後の言葉は、「さよならロックンロール少年、ロックンロール少女」であった。はちみつぱい解散後、メンバーのうち、鈴木、武川、かしぶち、岡田、椎名和夫はムーンライダーズを結成した。
→詳細は「ムーンライダーズ」を参照
再結成
1988年6月9日、東京都港区汐留のライブハウス「汐留PIT」で一日限りの再結成コンサートを開催。ゲストにはあがた森魚、斉藤哲夫、高田渡らが出演し、はちみつぱいをバックに歌った。1974年の解散コンサートに倣い、この再結成コンサートでも「塀の上で」を演奏し、鈴木慶一が「さよならロックンロールおじさん、ロックンロールおばさん」の言葉を残した。
2015年12月20日、メルパルクホール東京で行われた鈴木慶一のミュージシャン生活45周年記念ライブで、27年ぶりに再結成[3]。2017年2月、『センチメンタル通り[Deluxe Edition]』を発売[4]。
2017年4月26日、あがた森魚&はちみつぱい名義でアルバム『べいびぃろん(BABY-LON)』を発売。同年7月1日、メルパルクホール東京で発売記念ライブを行った[5]。
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メンバー
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
その他
- 山谷初男 with はちみつぱい『山谷初男の放浪詩集/新宿』(1974年10月25日、2006年12月20日 CD:VICL-62206)[6]
- 林静一・はちみつぱい『夜にほほよせ』(2009年7月25日)
- 林静一が1973年に監督した実写映画「夜にほほよせ」のサウンドトラック。
- かしぶち哲郎『自由なメロディー はちみつぱい〜ムーンライダーズ』(2009年10月10日)
- 未発表曲「自由なメロディー」をはちみつぱいバージョンとムーライダーズバージョンで収録
- あがた森魚『あがた森魚とはちみつぱい 1972〜1974』(2013年5月22日)
- はちみつぱいがバックバンドを務めたあがた森魚のライブ・アルバム。
ライブビデオ
- はちみつぱいラストライヴ(1992年5月20日)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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