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アニマ・アニムス

山下久美子のアルバム ウィキペディアから

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アニマ・アニムス』(ANIMA・ANIMUS)は、山下久美子の7thスタジオ・アルバムで、1984年5月21日日本コロムビアから発売された。

概要 『アニマ・アニムス (ANIMA・ANIMUS)』, 山下久美子 の スタジオ・アルバム ...
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概要

前作から約9か月ぶりのスタジオ・アルバム。

制作

山下のディレクターだった福岡智彦は、当時、サンプリングミュージックシーケンサーを使用したコンピュータプログラミングなどの技術が急速に進化し、音楽の創り方が大きく変化していくのを感じたうえで、どこか気負いもしていたという[1]。また、山下も「赤道小町ドキッ』路線でずっといくのは難しい」と感じていたといい、「その路線を維持していくには、ずっと細野晴臣さんにお願いしないと難しいなと。なかなか『赤道小町ドキッ』は超えられないんですよ。それでちょっと反骨精神がでちゃって」と語っている[2]

そこで、レコーディングエンジニアに飯泉俊之、アレンジャーベーシスト後藤次利をそれぞれ起用し、アルバム制作を始めた。福岡はアレンジャーの後藤に「思い切りやってください」と伝えた結果「ほんとに思い切り振り切った、まるで実験のようなレコーディングが始まった」と語っている[1]

このアルバムを売り出す際、当時としてはかなり前衛的なサウンドだったためか、日本コロムビアの宣伝担当(当時)だった渡部洋二郎から「おまえ、こんな売りにくい音作ってどうするつもりだ。この野郎!」と言われたという[1]。実際に、初めてこのアルバムを聴いたファンは「あまり聞いたことのない音楽」「リズムも複雑で、ライブでもどうやってノッていいのかわからない」など困惑し[3]、山下曰く「それまで振り向かなかった人が振り向くとかね。逆にそれまでずっと見てくれていた人が離れるとか。そういう色んな面白い現象がありました」とのちにMusicVoiceのインタビューで語るなど[2]賛否両論が巻き起こり[4]、山下も「申し訳ないなと思いながら、やってましたけどね」と語っている[2]。のちに、福岡は「今聴いてもなかなかカッコいいと思います。今聴いたほうがカッコいい、と言うほうがいいのかもしれません」と評価し[1]、山下も「20年くらい早かったアルバム」と語っている[2]

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アルバムジャケット

当時、日本コロムビアの宣伝担当だった渡部洋二郎が「こうなったらオレが企画を作るしかないだろう」と立ち上がり、小説家放送作家景山民夫に演出を依頼し、ミクロネシア連邦ポンペイ島プロモーションビデオの撮影と同時に、アルバムのジャケットの撮影も行った[1]。プロモーションビデオは、1984年6月21日に『黄金伝説』というタイトルで発売された。

収録曲

SIDE A

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SIDE B

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楽曲解説

SIDE A

  1. アニマ・アニムス
  2. そばにいたいよ
  3. SEEK
  4. DOWNTOWN SUNDOWN
    • シングル「モーニング・ベルならしてよ」のB面曲。
  5. NEW YEAR'S EVE
    • このアルバムのリリース後、ディレクターの福岡智彦が、ユーリズミックスのアルバム『タッチ』を聴いていたときに、収録曲である「ライト・バイ・ユア・サイド英語版」と酷似していることに気づいたという[6]。福岡は、このことに対し「ほとんどそのまんまですから、アレンジャーとしてどうかとも思いますが、それを許してしまった私がダメでしょう」とした上で、「とてもいい仕事をしてくれたと思っていますし、自分にとってとても刺激的なレコーディングでした。だからこそ、このことが悔しいし、今になっても、忘れようとして忘れられない古傷なのです」と語っている[6]

SIDE B

  1. モーニング・ベルならしてよ
    • 先行シングル。
  2. GIMME LOVE
  3. 誰かがわたしを呼んでいる
  4. 5・6・7・8 DANCE!
  5. HELLO! ストレンジャー
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参加ミュージシャン

関連項目

脚注

外部リンク

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