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イェニファー・シモンス

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イェニファー・シモンス
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イェニファー・ヘールリングス=シモンスオランダ語: Jennifer Geerlings-Simons[注 1], 1953年9月5日 -)はスリナムの政治家、医師。2010年から2020年までスリナム国民議会議長を務めた後、2025年に大統領に選出された。この国で初めての女性大統領である。デシ・ボーターセにより設立された国民民主党英語版 (NDP) の党首を2024年より務めている。

概要 任期, 副大統領 ...
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来歴

要約
視点

1953年、当時オランダギアナパラマリボに誕生[7]。4人の兄弟姉妹の長女だった[8]。一般中等学校 (AMS) に通った後[9]、スリナム大学(現アントン・デ・コム大学英語版)医学部を卒業した[8]。専門分野の研修のためオランダへ渡ったが、1980年にスリナムでクーデター英語版が起こったため家族を心配して帰国[9]パラ地方オンフェルワハト英語版パラマリボ大学病院英語版ニッケリエ地方マロウィネ地方アルビナ英語版での勤務を経て皮膚科医となり、以後およそ30年間医療に携わる[10]

1996年、パラマリボ地区よりスリナム国民議会議員に初当選し、その後2020年まで議員を続けた[7]。国会議員としては、公衆衛生・教育・運輸・通信・観光などに関する委員会に所属していた[11]

2000年5月25日の国民議会選挙では、NDPを筆頭とする政党連合MC(Millennium Combinatie; ミレニアムコンビネーション)が、ラシット・ドゥキ英語版を大統領候補、シモンスを副大統領英語版候補に擁立し10議席を獲得した[12][13]。しかし民主発展新戦線 (ニューフロント) が33議席を獲得して勝利し、同年8月4日に議会で実施された大統領選挙ではスリナム国民党 (NPS) のロナルト・フェネティアーンが37票を獲得して当選した[12][13]。シモンスは立候補を辞退し、進歩改革党 (VHP) のユーレス・アヨディア英語版が副大統領に選出された[12][13]

2010年6月30日、国民議会議長選挙においてシモンスは現職のパウル・ソモハルジョ英語版を26票対24票で破り、新議長に選出された[14]

2020年5月25日の選挙ではチャン・サントクヒ率いるVHPが第1党(20議席)、NDPが第2党(16議席)、ABOPが第3党(8議席)となる[15]。この回ではシモンスは当選したが翌月に国会議員就任を辞退し政界からの離脱を表明、NDPの比例代表名簿第6位だったスティーブン・ツァンオランダ語版繰り上げ当選した[16]。6月29日に召集された国会でABOPのロニー・ブルンスウェイク英語版党首が新議長に選出された[15]。7月16日にVHPのサントクヒ党首が大統領に就任、ABOPのブルンスウェイク党首は副大統領に就任すると同時に国会議長を退任した[17]

2024年にシモンスは政界に復帰し、7月13日にボーターセの後継となるNDP党首に選出された[3][7]

2025年5月25日の選挙において、シモンス率いるNDPは第1党(18議席)、VHPは第2党(17議席)となる[18]。2日後、NDPは議席を獲得した6政党のうちVHPを除いた5党との連立を組み、国会の定数51のちょうど3分の2に当たる34議席を制し、シモンスの次期大統領選出を可能にした[7][18][19]

7月6日、国民議会はシモンスを大統領、NPS党首のグレゴリー・ルスラント英語版を副大統領に選出した[18][20]。VHPは事前に対立候補を用意しておらず、シモンスの選出は確実視されていた[20]。7月16日、パラマリボ市内のアンソニー・ネスティ・スポーツホールオランダ語版において、大統領就任式が挙行され[4]イェニファー・シモンス内閣オランダ語版が発足した[21]

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家族

イェニファー・シモンスの母イルマ・シモンス (Irma Helouise-Simons) は看護師、父アルウィン・メンケ (Alwin Desire Menke) はオランダのスリナム駐留軍 (TRIS) に所属していた[9]

夫のフレン・ヘールリングス (グレン・ギーアリングズ) とは1981年に結婚した[7]。夫は教育関連の事業を手掛け、オランダのヴァーヘニンゲンにある農業学校 (landbouwschool) のプロジェクトに携わっている[22] 。シモンスの大統領就任により、スリナム初の「ファーストジェントルマン」となったが、本人はその呼ばれ方をよく思っていないとされる[23]スリナムのファーストレディ英語版はこれまで政府における儀礼的な職務を行う場合があったが、シモンスは就任後の記者会見にて自身の夫はそのような役割を負うことは絶対にないと宣言した[24]

夫妻には1982年5月14日に長男のエドワルト(エドワード)が誕生し、続いてナオミ(ネイオミ)とヨナタン(ジョナサン)という2人の子が生まれた[25]。エドワルトはスリナム国軍に入隊して航空パイロットとなり、2007年のミス・スリナムに選ばれたサフィラ・ドゥールハム (Safyra Duurham) と結婚し2人の子を得た[25]。しかしのちに病に冒され、キューバで治療を受けていたが2015年7月10日に33歳で他界した[25][26]

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脚注

外部リンク

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