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イバン・ガルシア
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イバン・ガルシア・サンチェス(Iván García Sánchez、1972年2月29日 ‐ )は、キューバ・サンティアーゴ・デ・クーバ出身の元陸上競技選手。専門は短距離走。自己ベストは100mがキューバ歴代5位の10秒09[1]、200mがキューバ歴代3位の20秒17[2]、室内200mがキューバ記録の20秒46。2000年シドニーオリンピック男子4×100mリレーの銅メダリスト、1997年パリ世界室内選手権男子200mの銀メダリストである。
200mがメインのスプリンター。1997年パリ世界室内選手権200mで銀メダルを獲得し、この種目ではオリンピックと世界選手権も含め、男女通じてキューバ勢初のメダリストとなった。オリンピックと世界選手権の200mではメダルこそ獲得できなかったが、1995年ヨーテボリ世界選手権で8位、1996年アトランタオリンピックで6位、1997年アテネ世界選手権で4位という成績を残した。
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経歴
要約
視点
1993年
3月のトロント世界室内選手権男子200m準決勝をキューバ記録(当時)の20秒78で突破し、200mでは男女通じてキューバ勢初のファイナリストとなった。決勝では準決勝のタイムに迫る20秒82をマークするも、3位とは0秒10差の4位でメダルを逃した[3]。
1995年
8月のヨーテボリ世界選手権男子200m準決勝を20秒45(-0.9)の組4着で突破し、200mでは男女通じてキューバ勢初のファイナリストとなったが、決勝は20秒77(+0.5)の8位に終わった[4]。男子4×400mリレーは予選で1走を務め、3分01秒82をマークしての決勝進出に貢献したが、決勝の出番はなかった[5]。
1996年
8月のアトランタオリンピック男子200mで決勝に進出し、この種目では1980年モスクワ大会のシルビオ・レオナルド(4位)とOsvaldo Lara(8位)以来となるキューバ勢ファイナリストとなった。決勝では自己ベスト(20秒17)に迫る20秒21をマークするも6位に終わった。
1997年
3月のパリ世界室内選手権男子200m準決勝をキューバ記録(当時)の20秒48で突破し、前回大会に続いてファイナリストとなると、決勝では準決勝のタイムを縮める20秒46のキューバ記録を樹立。ケビン・リトル(20秒40)に次いで銀メダルを獲得し[6]、200mでは男女通じてキューバ勢初のメダリストとなった。
8月のアテネ世界選手権男子200m準決勝を20秒39(-0.5)の組2着で突破し、前回大会に続いてファイナリストとなると、決勝では追い風参考記録ながら今大会で一番良いタイムの20秒31(+2.3)をマークしたが、3位とは0秒05差の4位で惜しくもメダルは逃した[7]。これは現在も、200mにおけるキューバ勢最高成績となっている(女子も含め)。男子4×100mリレーでは3走(Alfredo García-Baró、Misael Ortiz、ガルシア、Luis Alberto Pérez-Rionda)を務め、38秒15をマークしての4位に貢献したが、3位のイギリスとは0秒01差で惜しくもメダルを逃した[8]。
1999年
8月のセビリア世界選手権男子200m準決勝で20秒38(+1.7)の組6着に終わり、3大会連続の決勝進出を逃した[9]。男子4×100mリレーでは2走(Alfredo García-Baró、ガルシア、Luis Alberto Pérez-Rionda、Yoel Hernández)を務め、38秒63をマークしての5位(当時)に貢献した。その後、3位のナイジェリアがドーピング処分でメダルを剥奪され、順位が4位に繰り上がった[10]。
2000年
9月のシドニーオリンピック男子4×100mリレーで3走(José Ángel César、Luis Alberto Pérez-Rionda、ガルシア、フレディ・マヨラ)を務めると、決勝ではキューバ記録(38秒00)に迫る38秒04をマークし、アメリカ(37秒61)、ブラジル(37秒90)に次ぐ銅メダル獲得に貢献した[11]。
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自己ベスト
記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
主要大会成績
要約
視点
備考欄の記録は当時のもの
脚注
外部リンク
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