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エマニュエル・ラミレス
ドミニカ共和国出身のプロ野球選手 ウィキペディアから
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エマニュエル・オダリス・ラミレス(Emmanuel Odalis Ramírez、1994年7月15日 - )は、ドミニカ共和国プエルト・プラタ州プエルト・プラタ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
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経歴
要約
視点
プロ入りとパドレス傘下時代
2012年11月19日にアマチュアFAでサンディエゴ・パドレスと契約してプロ入り。ドミニカン・サマーリーグ・パドレスでプロデビューした。
2018年はAA級サンアントニオ・ミッションズとAAA級エルパソ・チワワズで登板した。2019年はAA級アマリロ・ソッドプードルズとAAA級エルパソで登板した。
2020年は新型コロナウイルスに伴うマイナーリーグの開催中止のため、登板はなかった。2020年11月2日にFAとなった[1]。
ブレーブス傘下時代
2020年11月16日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[2]。A+級ローマ・ブレーブスとAA級ミシシッピ・ブレーブスで38投球回を投げて、59奪三振、防御率7.34を記録した。2021年11月2日にFAとなった[3]。
ヤンキース傘下時代
2021年11月19日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[4]。AA級サマセット・ペイトリオッツとAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで44.2回を投げて、55奪三振、防御率3.43、を記録した。2022年11月10日に再びFAとなった。
モンクローバ時代(LMB)
2023年4月25日にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約した[5]。主に先発投手として17試合に登板し、87.1投球回を投げて、77奪三振、防御率4.02を記録した。

マーリンズ時代
2024年1月25日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[6]。AAA級ジャクソンビル・ジャンボシュリンプで7登板した[7]。4月28日にメジャー契約を結び、初めて40人枠入りした[8]。
ブルージェイズ傘下時代
2024年9月5日にウェイバー公示を経て、トロント・ブルージェイズに移籍した[9]。AAA級バッファロー・バイソンズで20.2回を投げ、防御率6.97という結果に終わり、11月4日にDFAとなった[10]。11月8日にリリースされ、FAとなった[11]。
西武時代
2024年11月29日に埼玉西武ライオンズと契約した[12]。1年契約で推定年俸1億3000万円プラス出来高、背番号は56[13]。
2025年は開幕一軍入りを果たす[14]。もっぱら救援投手として起用され、17試合目の登板となった6月10日の阪神タイガース戦では8回を無失点に抑えると、直後にチームが4点を奪って勝ち越しそのまま勝利したため、来日初勝利を記録した[15][16]。4月8日の千葉ロッテマリーンズ戦以降は失点を許しておらず、19試合連続無失点を記録していた。1勝0敗4ホールド、防御率0.83という成績を記録していたが、右脇の違和感のため7月5日に登録抹消となった[17]。9月10日に二軍で実践復帰を果たすと[18]、3試合連続無失点を記録し、同18日に再び一軍昇格[19]。そのままシーズンを終えた。最終的に27試合の登板で1勝0敗8ホールド、防御率1.01を記録した。10月8日に来季契約を締結したことが発表された[20]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2025年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2025年度シーズン終了時
記録
NPB
初記録
- 投手記録
- 初登板:2025年3月30日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(ベルーナドーム)、2番手で6回表に救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2025年4月3日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(楽天モバイルパーク宮城)、8回裏に小郷裕哉から空振り三振
- 初ホールド:2025年4月22日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ZOZOマリンスタジアム)、9回裏に4番手で救援登板、1回無失点
- 初勝利:2025年6月10日、対阪神タイガース1回戦(ベルーナドーム)、8回表に2番手で救援登板、1回無失点[16]
背番号
- 56(2025年[13] - )
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脚注
関連項目
外部リンク
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