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オレーター・シェーファー
アメリカ合衆国の野球選手 (1851-1922) ウィキペディアから
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オレーター・シェーファー(George W. "Orator" Shaffer 、1851年10月??日 - 1922年1月21日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のプロ野球選手(外野手)。右投げ左打ち。
"Orator"(弁士の意)はニックネーム。ナショナルリーグ初期の1879年に、外野手のシーズン補殺数の最多記録を作った。この記録は現在も破られていない。
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経歴
1874年に、当時のプロ野球リーグナショナル・アソシエーションに参加、ナショナル・アソシエーション解散後1年ブランクを置いて、1877年にルイビルの外野手となる。
シェーファーは外野でライトを守ることがほとんどだったが、この年の外野の守備記録は、60試合で刺殺121、補殺はリーグ最多の21を数えた。ボールが飛ばず長打が少なかった当時において、シェーファーは現在の外野手の守備位置よりはるかに前で守り、一塁や二塁で走者を刺す「ライトゴロ」を多く稼いでいた。シカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)でプレーした1879年には72試合で50の補殺を記録、この数は現在でも外野手補殺数のシーズン最多記録である。これを含め、シェーファーが外野手補殺数でリーグ最多を記録したシーズンは4度にもなる。
打つ方では1年限りの球団だったインディアナポリスで、チーム最高の打率.338、また1884年にユニオン・アソシエーションに参加した際、リーグ最多の40本の二塁打を放ち、打率.360を残したことがある。1887年から1889年までメジャーリーグの試合に出ていないが、復帰した1890年にはおよそ100試合で外野をこなし、補殺17と6つの併殺を取っている。1890年を最後に選手を退き、1922年にフィラデルフィアで亡くなった。
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詳細情報
打撃成績
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
獲得タイトル・記録
- リーグ最多二塁打:1884年(ユニオン・アソシエーションでの記録)
- シーズン補殺数(外野手):50(1879年、歴代1位)
- 補殺数(外野手)リーグ最多:1877年、1879年、1880年、1883年
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関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
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