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クラウディネイ・ダ・シルバ

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クラウディネイ・ダ・シルバ
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クラウディネイ・キリーノ・ダ・シルバClaudinei Quirino da Silva1970年11月19日 ‐ )は、ブラジルレンソイス・パウリスタ英語版出身で短距離走を専門にしていた元陸上競技選手。200mの自己ベストは南アメリカ歴代2位(元南アメリカ記録)およびブラジル記録の19秒89。世界大会でのメダル獲得は、200mは1997年アテネ世界選手権で銅メダル、1999年セビリア世界選手権で銀メダルを獲得。4×100mリレーは1999年セビリア世界選手権で銅メダル、2000年シドニーオリンピックで銀メダルを獲得している。

概要 クラウディネイ・ダ・シルバ, 選手情報 ...
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経歴

1995年8月、世界選手権初出場となったイェーテボリ世界選手権は男子200mで決勝に進出し、20秒40(+0.5)の5位に入った[1]

1997年8月、アテネ世界選手権は男子200mで2大会連続の決勝に進出すると、決勝ではアト・ボルドン(20秒04)、フランク・フレデリクス(20秒23)に次ぐ20秒26(+2.3)で3位に入り[2]、200mでは女子も含めブラジル勢初のメダリストとなった[注 1]

1999年8月、セビリア世界選手権は男子200mで3大会連続の決勝に進出すると、決勝では20秒00の自己ベスト(当時)をマークし、モーリス・グリーン(19秒90)に次ぐ2位に入り銀メダルを獲得した[3]。男子4×100mリレーではブラジルチーム(ラファエル・デ・オリベイラ英語版、ダ・シルバ、エジソン・リベイロアンドレ・ダ・シルバ)の2走を務め、38秒05の南アメリカ記録(当時)を樹立しての4位に貢献した。その後、3位だったナイジェリアがInnocent Asonzeのドーピングにより2005年にメダルを剥奪されたため、ブラジルが繰り上がり銅メダルを獲得した。

1999年9月11日、セビリア世界選手権の男子200m決勝から約2週間後に行われたグランプリファイナルの男子200mでは19秒89(-0.8)の南アメリカ記録(当時)を樹立し、セビリア世界選手権金メダリストのモーリス・グリーン(19秒90)に競り勝ち初優勝を成し遂げた[4]。この時に記録した19秒89は、同じブラジルのロブソン・ダ・シルバが1989年に記録した19秒96を更新するものだったが、この記録は2009年8月にパナマアロンソ・エドワードによって更新された。

2000年9月、2度目のオリンピック出場となったシドニーオリンピックは男子200mで初めて決勝に進出したものの、20秒28(-0.6)の6位に終わりメダルを獲得できなかった[5]。しかし、男子4×100mリレーではブラジルチーム(ビセンチ・デ・リマ、エジソン・リベイロ、アンドレ・ダ・シルバ、ダ・シルバ)のアンカーを務め、37秒90の南アメリカ記録を樹立しての銀メダル獲得に貢献した[6]。これはオリンピックと世界選手権を通じて、4×100mリレーにおけるブラジル最高成績となっている。

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自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風、-は向かい風を意味する。

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主要大会成績

要約
視点

備考欄の記録は当時のもの

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脚注

外部リンク

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