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サロメ (戯曲)

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サロメ (戯曲)
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サロメ』(Salomé)は、オスカー・ワイルド戯曲新約聖書を元にした内容。1891年にフランス語で書かれ、1893年パリで出版された。1894年に出版された英訳版ではオーブリー・ビアズリーの挿画が使用されている[1]。英訳したのはワイルドの同性の恋人だったアルフレッド・ダグラスであるが、出来が悪く、ワイルド本人が翻訳を修正している[1]。内容の背徳性から禁止令が出て、イギリスでは1931年まで上演できなかった[2]

概要 サロメ Salomé, 作者 ...

女優サラ・ベルナールのために書かれたと噂されるが、ワイルド自身はこれを否定している[2]

日本で最初にこの戯曲でサロメ役を演じたのは松井須磨子である。1913年大正2年)12月、島村抱月芸術座による帝国劇場での上演だった。1960年(昭和35年)4月と、1971年(昭和46年)2月には、三島由紀夫の演出(1971年 は三島の死により和久田誠男の演出補)で上演されている[3]

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あらすじ

ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺しを奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、いやらしい目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者は不吉な言葉を喚き散らして、妃から嫌がられている。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて、預言者を見てしまう。そして彼に恋をするのだが、預言者のほうは彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかりである。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。

エロドはサロメにしつこくダンスをしろと要求し、何でも好きなものをほうびにとらせると約束する。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。預言者の力を恐れて断るエロドだが、サロメは聞き入れない。あきらめたエロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけし、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。

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日本語訳

『サロメ』を初めて日本語に翻訳したのは森鷗外で、以後21世紀に至るまで日夏耿之介佐々木直次郎楠山正雄若月紫蘭、そして内藤濯ら多くの翻訳者により日本語訳が出版された。

昭和期の福田恆存訳(岩波文庫)、西村孝次訳(新潮文庫)は長年重版。
新訳版は平野啓一郎訳(光文社古典新訳文庫)、河合祥一郎訳(角川文庫
日夏耿之介訳は「院曲サロメ」で新版刊行。
  • 福田恆存 訳『サロメ』岩波書店〈岩波文庫〉、改版2000年 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明
  • 西村孝次 訳『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』新潮社〈新潮文庫〉、改版2005年 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明
  • 平野啓一郎 訳『サロメ』光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2012年。
  • 河合祥一郎 訳『新訳 サロメ』角川書店〈角川文庫〉、2024年。
  • 日夏耿之介 訳『院曲 サロメ』沖積舎、2004年。
    • 旧訳版の題名は『院曲撒羅米』(初刊:蘭台山房、1938年/東出版、1977年)
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参考書籍

『サロメ』がどのように受容されてきたかを分析した。三島由紀夫岸田今日子を主演に演出したときのことが、書かれている。当時の関係者(三島、岸田を含む)の座談会付き。芥川龍之介の未発表原稿に『サロメ』をアレンジした作品があった事も記す。
  • 井村君江『サロメ図像学』(あんず堂、2003年)
続編でモロークリムト他250点余の図像を読み解いた。
オリエンタリズムの見地からの詳細な作品論と、『サロメ』およびフローベールヘロディア』訳を収録。

日本での上演

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映画

※『サロメ』は劇中劇となっていて、外枠として戯曲の作者オスカー・ワイルドのエピソードが語られる。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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