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宇崎竜童

日本のミュージシャン (1946-) ウィキペディアから

宇崎竜童
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宇崎 竜童(うざき りゅうどう[3]1946年[4][3][5]2月23日[6][7] - )は、日本歌手作曲家俳優映画監督京都府[4][3]京都市伏見区生まれ。東京育ち。妻は作詞家の阿木燿子

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概要

1970年代中期から1980年初頭にダウン・タウン・ブギウギ・バンド、1980年代中期から1990年代初頭に竜童組、1990年代中期から後期に宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、バンドの活動の合間にソロとしても活動する。妻は作詞家の阿木燿子。「作詞・阿木、作曲・宇崎」のコンビで商業主義的な歌謡曲界においても、数多くの楽曲をヒットさせると共に山口百恵の全盛期を支えた。

来歴

要約
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生い立ち

母親の出身地で疎開先だった京都市伏見区に生まれる[8]。母方のルーツは京田辺市である[9]。生後間もなく東京に引っ越し、中学卒業まで代々木上原で育った[8][10][11]渋谷区立上原小学校明治大学付属中野中学校・高等学校明治大学法学部卒業[8]。父親は滋賀県大津市出身[9]で、東京商船学校を卒業して船乗りを経た後に、代々木上原で船具店を経営し裕福だったが[8][12]、中学3年生時に父の会社が倒産、一家は豪邸から借家生活となる[10]

明大付属中野中学・高校時代はブラスバンド部に所属し、明治大学時代は軽音楽クラブに所属しトランペットを担当していた[13][5]。大学の軽音楽部で同い年の阿木燿子と知り合い[1][14]作曲活動を始める[10][5]。両親の手前もあり、プロを目指すことはなかった[10]。大学卒業後、内田洋行に就職したが性に合わず1か月で退社した[8]

作家プロデビュー

その後、義兄の経営する大橋プロでマネージャーを務め、バンド「ミルク」時代の松崎しげるをスカウトし2年間マネジメントを担当するが、ここも後に退社した[10][15]

大橋プロ在籍時には、1969年に阿木作詞・宇崎作曲のコンビで手掛けた、ジュリー(鍵山珠里)とバロンのシングル『ブルー・ロンサム・ドリーム』でプロ作家デビュー[1][5]全日本歌謡選手権11代チャンピオン・大橋恵子のデビュー・シングル『愛の教室』(1971年2月)の作曲も手掛けた。

バンドデビュー

コンサートに飛び入り参加したのがきっかけでレコード会社から声がかかった。1973年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成[2][4][3][5]。シングル「知らず知らずのうちに」でデビューした[1]。このバンド名は前年1972年に思いついていたが当時のバンドに提案したところ逆に解散のきっかけになっていたものである。

1974年の「スモーキン・ブギ」が全国的に大ヒットした[5]。白いつなぎルックと、フレーズのコミカルさとカッコよさをアピールするロックンロールの曲調との落差で注目された[1]。さらに翌年のシングル「カッコマン・ブギ」のB面曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」もヒット[3]、曲中の「アンタあの娘の何なのさ」というセリフは流行語となり[1]、同名映画も作られた。さらに「商品には手を出すな」という楽曲はラジオでのオンエアで話題となった。その後「沖縄ベイブルース」を発表した。77年には「サクセス」がヒット。

歌謡曲作家

同時に歌謡曲の作曲家としての活動も目立つようになった。山口百恵に1976年「横須賀ストーリー」1977年「イミテイション・ゴールド」1978年「プレイバックPart2[注釈 1]1979年「しなやかに歌って」1980年「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向こう側」など数多くの楽曲を提供しヒットさせ、彼女の全盛期を支えた。

多方面での活躍

映画『曽根崎心中』(1978年)[16]、『TATTOO<刺青>あり』(1982年)に主演しているが『曽根崎心中』は梶芽衣子と友人だったことが、主演のきっかけとなった。

1980年、バンド名を「ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド」に改名するも、翌年解散した。解散後はさらにドラマ出演、映画・舞台音楽や監督などに進出[4]。1984年、音楽的新境地を開くために「竜童組」を結成。1990年に活動休止。

1993年、元ザ・スパイダース井上堯之と共に大人のロックバンドを目指すため、「どちらかが死ぬまで続けよう」との約束で「宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之」を結成。1998年に活動休止するが、2人の約束は維持した[17]

1998年以降はソロ歌手として活動。2008年にはデビュー35周年を迎え、2枚組のブルース・アルバム、2枚組のベスト・アルバムのリリース、記念ライブが行われた。

2008年4月10日、憲政記念館で開催された「天皇皇后両陛下御大婚五十年をお祝い­する集い」に臨席し、祝辞を述べた。

2013年8月22日・23日、「湯布院映画祭」で音楽を担当した作品および出演した作品が特集上映された。上映後は阿木と共にシンポジウムに参加。ライブ&トークショーで映画にまつわる9曲を披露した。

2018年1月5日には他のタレントとともに、当時の内閣総理大臣安倍晋三と会食をおこなった[18]

2023年デビューから50周年を迎えるのを記念して「宇崎竜童 50th anniversary 弾き語りLIVE 2023 JUST GUITAR JUST VOCAL」を2月18日茅野市民館をはじめ、2月26日横浜市市民文化会館関内ホール、5月13日市川市文化会館で開催[19]

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人物

要約
視点

極度のスポーツ嫌い。体を動かすのも嫌なタチで、わずかな移動もすぐに乗り物に頼る。それを反省し、2・3箇所のスポーツクラブの会員になるが「わざわざ疲れるところ(スポーツクラブ施設)への移動も疲れるし面倒」と億劫な気持ちが先立ち、いずれもわずか1日で行かなくなった。

学生時代のファッションは、アイビールックだった。

夫人の阿木燿子のことは学生時代から、本名である「広子さん」と呼んでいる。

下戸であり、大の甘党である。特に饅頭やケーキなどには目がない。本人はお酒を飲まないがそれに対し、夫人の阿木は酒好きで強いと有名である。晩酌をする妻の横で宇崎は茶を飲み、甘味に舌鼓を打つことも珍しくないという。

俳優業について、宇崎は自身を役者とは思っていないと述べており、自分では余計な考えを持たないことで、素直に監督のイメージする役柄になることができると語っている[4]

30代前半ごろに映画撮影の際、耳栓を付け忘れての弾着の発破によって難聴を患った[20]。現在は補聴器を使用しながら作曲などをこなしている。

エピソード

友人の占い師が「木村だと業界で生きていけないだろう」ということで、色々な占いの結果、「宇崎」の姓をもらった[21]

御堂筋ブルースバンドと共演し、CDも発売している[22]

毎年8月に静岡市清水区(旧:清水市)で開かれている「清水みなと祭り」のイベント「港かっぽれ総おどり」において要望に応える形で、宇崎が「港かっぽれ〜KAPPORE FUNK」を1987年に作曲し提供した[23]。これ以降、毎年みなと祭りの時期には清水を訪れ、地元の住民らと交流を続けている[23]

幼少期に宝田明のファンであった姉に連れられて映画『ゴジラ』(1954年)を観たが、あまりの怖さに夢にまで見てしまい、ゴジラ映画は観ないと決めたという[3]。後年、俳優として『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)に出演したが、その後も同作品以外は観ていないと述べている[3]

キャロルとつなぎ

矢沢永吉率いる「キャロル」と「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」は、デビュー時期は異なり、キャロルが先輩だった。このデビュー時期の差が宇崎を悩ませた。宇崎らも当初は皮ジャンを着ていたが、キャロルが大々的に売り出されると「キャロルの物真似」と批判が相次ぎ、やむなく皮ジャンでないものを探して、たまたま「つなぎ」に行った。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が出るタイミングで「キャロル」が華々しく解散。「矢沢永吉って人間には、常に先に行かれたって気があった」と話している。宇崎と矢沢は、お互いを敵対的なライバルと見ていたという。

矢沢永吉とキャロルについて宇崎は「自身は徒党を組むほうでやり方は違うが、矢沢は横縦つながり持たずに一匹狼。ロック・フェスティバルにも出ないし自力であそこまで行けたのは立派だと思う。彼はロックンロールの中で確立しているけど、ぼくはロックンロールよりも、少し広いところで商売している。言ってることを行動に結びつけて実績を作る-それは認めるけど、ぼくは体質的にダメ」などと話している[24]

交友・友人関係

梶芽衣子と友人だった。

また、一時は数々のレースに出場したり、友人の映画監督高橋伴明根津甚八らとツーリングチームを結成するほどバイク熱が高まっていたが、生来の飽き性のためバイクもあっさりと興味が薄れてしまい、現在はバイクよりも自転車を使用する方が多いという。

所ジョージの芸名の名付け親であり、所は宇崎の下で付き人ボーヤ)をしていた。所の歌『化けて出ている』(『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』のパロディ)にゲストとして参加している。

鈴木雅之はデビュー前から宇崎のファンであり、鈴木がグループでの活動時から宇崎と親交がある。宇崎自身も、テレビでの共演や、鈴木のライブにゲスト出演したことも何度かあり、鈴木のCDをいくつか持っている。

ジャズ・ヴァイオリニスト寺井尚子とも交流があり、November Eleventh 1111でのライブなど何度もセッションを重ねている。

サザンオールスターズ桑田佳祐は宇崎のファンを公言しており、1990年の著書で歌謡曲の衰退を憂いた際に「あんなに大好きだったのに、俺の中での愛すべき歌謡曲は75年のダウン・タウン・ブギウギ・バンド『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』以降、ほとんど出てないですね」と発言している[25]。なお、宇崎は原由子に「うさぎの唄」を提供している。サザンの楽曲「Hey! Ryudo!」のモデルであり、「ごめんねチャーリー」の歌詞にも登場する。なお、桑田はデビュー前に宇崎にあいさつをしたことがあり、デモテープを渡したものの、「言葉のわからないロックは嫌いだ」と言われ突き返されたというエピソードを著書で語っている[26]。ただし、スージー鈴木の著書「サザンオールスターズ 1978-1985」(2017年 新潮新書 p.33)には宇崎がこの発言をしたことを否定していたという趣旨の記述がされている。

1980年の著書『突っ張って生きてみないか―俺たちの明日はあっちだ!』では同業のミュージシャンをこき下ろしている[27]。書籍の出版が1980年で、俎上に上げられたミュージシャンは、今日の一般的評価とはあるいは異なり、当時のまだ評価が定まっていないであろう時期に宇崎がどういう感想を持っていたか面白く、さだまさしを「声が嫌い。あれはウソの声。女にうけようという媚を感じる。あいつの歌って何の影響力も持たないんじゃないかな。矢沢と比較するとよく分かるよ」などと、松山千春を「あいつの作品や歌い方から考えると大嫌いなタイプ」などと、河島英五を「『酒と泪と男と女』は俺の最も嫌いな曲だな。彼の歌は、人を奈落の底まで連れて行って『ハイ、サヨナラ!』みたいな印象。浮かんでくる風景は、酔っ払いがドブロク飲んでゲロ吐いているシーン」。中島みゆきを「全編ワルツ3拍子の表現。女の最もいやらしい部分をくすぐる歌い手だな。中島みゆきファンの女の子は想像できる、ほんとはボーイフレンドが欲しい。でも自分からは進んで男に接しようとははしない。男が近づいてきそうになったら、サッと身をかわして家に帰っちゃう。だから傷心なんて体験したことがない。体験したことはないけど、中島みゆきの歌で代理体験してるわけだ」などと、山下達郎を「音楽に関して言えば、とにかく歌はうまいね。それも生活感がまったくない歌をサラリと歌う。そこらへんが、湘南あたりにサーファーギャルにうけてるところなのだろうけど、ま、不思議だよね。20~30年間、それなりの人生演ってきてるんだろうに、ああも生活感のない歌いっぷりができるというのはね…」などと、舘ひろしを「彼はいま、クールスを抜けて1人で活動してるけど、その抜け方に問題があるんだな。あまり詳しいことは言わんけど、彼、とにかくクールスのおいしい部分だけ頂いちゃって独立してんのよ。そして1人だけスターになっちゃってる。そのへんが矢沢とは違うところだな。矢沢はキャロル解散するとき、借金とかもろもろの重荷を全部しょったからね。で、しょったまま立ち上がった。舘が矢沢のことを『ロックンローラーじゃねえ』なんて批判したことがあったけど、しょせん、矢沢と舘とでは、ものが違うんじゃないの。そういえば、桑名正博なんてのも舘によく似たところがある。あいつは大阪の財閥の息子。金をジャンジャン食いつぶしているらしい。しょせん、同じ手合いだってことさ」などと批判している[27]

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活動

要約
視点

ディスコグラフィー

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド竜童組宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之、篠龍、六三四Musashi with 宇崎竜童、GENTLE3、などのディスコグラフィーは各リンク先のページを参照のこと。

シングル

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非売品シングル

  • 森は生きてる。(1997年)非売品 - 熱田神宮会館CMソング。同所で式を挙げた夫婦にプレゼントされる。CMではMs.OOJAが歌うバージョンも公開されている。

オリジナル・アルバム

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セルフカバー・アルバム

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ベスト・アルバム

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映像作品

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タイアップ

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RYUDO UZAKI with One Night Jam Session Band

アルバム
  • 哀愁のフォービート』(2004年8月25日)
    01.雨のイーストサイド/02.イミテイション・ゴールド/03.あなたがあなたなら/04.トランペット葬送曲/05.哀愁のフォービート/06.JA-NA/07.This is My Life

楽曲

自身歌唱楽曲

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
  • 知らず知らずのうちに (1973.12.01)
    後にソロとしてセルフカバー
  • スモーキン・ブギ (1974.12.01)
  • カッコマン・ブギ/港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ (1975.04.20)
    両A面扱いであったが「港のヨーコ」のインパクトが強すぎ、「カッコマン・ブギ」の方は忘れ去られてしまった。[独自研究?]オリコン1位を獲得。
  • 商品には手を出すな! (1975.08.05)
  • 裏切者の旅 (1976.03.05)
  • 涙のシークレット・ラヴ (1976.07.20)
  • 沖縄ベイ・ブルース (1976.11.05)
  • サクセス (1977.03.20)
  • 身も心も (1977.09.05)
  • 乾いた花 (1978.05.05)
  • 欲望の街 (1979.03.05)
  • トラック・ドライヴィング・ブギ
    映画『トラック野郎』挿入歌
ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド
竜童組 (RYUDOGUMI)
宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之
篠龍(篠原ともえと宇崎竜童のユニット)
  • キャラだもん
ソロ

提供楽曲

特記ないものは作曲

あ行
  • 荒木由美子
    • 渚でクロス
    • 季節風
    • ヴァージン・ロード
    • つむじ旋風
    • ミステリアス チャイルド
    • 春の妖精(テレビ朝日系ドラマ『燃えろアタック』挿入歌)
    • グッド・バイ・ジゴロ
    • 人魚の赤いくつ
    • Lの悲劇
    • ダンシング・パートナー
    • 横須賀ストーリー (アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • ふらりふられて(アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • 木洩れ日(アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • 硝子坂(アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • 春に吹かれて(アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • 風たちの午後(アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • 愚図(アルバム『ヴァージン・ロード/渚でクロス』)
    • ピンナップ・ガール(アルバム『PIN-UP GIRL』)
    • バス・ルーム13(アルバム『PIN-UP GIRL』)
    • シシリア・ムーン(アルバム『PIN-UP GIRL』)
    • 今夜はALL RIGHT(アルバム『PIN-UP GIRL』)
    • 恋を知らなければ(アルバム『PIN-UP GIRL』)
  • 天地総子
  • いしだあゆみ
  • 石原慎一
    • 重甲ビーファイター(『重甲ビーファイター』オープニングテーマ)
    • 地球孝行(同エンディングテーマ)
  • 五木ひろし
  • 梅沢富美男
  • 大沢逸美
    • ジェームス・ディーンみたいな女の子
  • 太田裕美
  • 大友康平
    • 夢の別の名前(2000年宮城県で行われた新みやぎ国体のイメージソング)
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や・ら・わ行
パチンコ

映画

出演

監督

音楽

吹き替え

音楽担当

テレビドラマ

舞台

オリジナルビデオ

テレビアニメ

劇場アニメ

出演Vシネマ

出演ドラマ

出演CM

出演番組

配信ドラマ

ラジオ

書籍

  • 町田義人共著『突っ張って生きてみないか―俺たちの明日はあっちだ!』青春出版社、1980年。ISBN 9784413020992
  • 宇崎竜童 『俺たちゃとことん―Fighting '80s』角川書店 1981年
  • 宇崎竜童・戸井十月 『十中八九は御乱心』八曜社 1981年
  • 宇崎竜童 『や・ぶ・に・ら・み―Life & Live 宇崎竜童・長濱治ジョイント写真展』 集英社 1981年
  • 宇崎竜童 『ブギウギ 脱どん底・ストリート〈角川文庫〉』 角川書店1983年(『俺たちゃとことん』1981年の改題)
  • 黒川創 『〈竜童組〉創世記』亜紀書房 1985年
  • 宇崎竜童・黒川創 『電話で75000秒』晶文社 1988年
  • 黒川創 『〈竜童組〉創世記〈ちくま文庫〉』 筑摩書房1988年(亜紀書房版1985年の改訂増補版)
  • 宇崎竜童 『あいつの言葉の杜切れ間に―宇崎竜童公開密談集』 シンコーミュージック 1992年

雑誌記事

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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