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和久田誠男

日本の元実業家、元関脇天竜の長男 ウィキペディアから

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和久田 誠男(わくた しげお)は、1941年満州生まれの演出家、大森の古書店「天誠書林」店主。

概要 わくた しげお 和久田誠男, 生年月日 ...

大相撲力士であり、力士の待遇改善争議「春秋園事件」を主導した天竜三郎(本名:和久田三郎)は父。

来歴

1941年に満州で生まれる。この時父親は満州国武道会常務理事を務め、かの国で相撲の普及にあたっていた。

早稲田大学文学部仏文科在学中に自由舞台に参加。

1964年(昭和39年)文学座を退座したメンバーで結成されたグループNLTの創立に、正式メンバーではなかったが立会い、以降舞台の演出助手、舞台監督を務める。

1968年(昭和43年)喜劇の上演を志向する劇団NLTから三島由紀夫作品の上演を求めるメンバーが脱退し「浪曼劇場」を旗揚げした際に和久田も帯同、舞台監督を務め、三島由紀夫の演劇活動を支援した。三島由紀夫逝去直後に上演された「サロメ」では三島の指名により演出を託された。

1972年(昭和47年)浪曼劇場解散後は演劇活動を離れた。

1993年(平成5年)に大森駅近く、東京都大田区山王のジャーマン通り沿いに古書店「天誠書林」を開業、2008年まで営業していた。

作品

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エピソード

「サロメ」公演について

三島由紀夫の追悼公演となった「サロメ」については三島が演出を担当、和久田は演出補を指名されており、三島の死後彼の遺言により和久田が実質的な演出を担当することとなった。しかし和久田の師であり、やはり三島の演劇活動を支えた松浦竹夫は自分が演出補を担当すべきと主張、いったん和久田は辞退するよう判断していた。しかし三島由紀夫夫人平岡瑤子が三島の遺言通りにすることを強く望んだため松浦が折れ、和久田が演出補を担当して上演している。和久田は、三島は「サロメ」を自分の劇場葬にしようとしていた、という考えを述べている。

この出来事で松浦が成功が確実な「サロメ」の演出補の座を得ようとしたのを目の当たりにした和久田は芝居の世界が嫌になり、演劇活動から離れたという[2]

自衛隊突入直前の三島由紀夫

和久田は楯の会自衛隊突入の四日前、1970年11月21日の夜に「サロメ」の演出についての、結果として最後となる打ち合わせを三島と行なっている。そして打ち合わせ後に三島と夫人、和久田の三人で六本木の「福鮨」で会食をしている。帰りの車の中で三島はしきりに「寒い寒い」と言いだし助手席で縮こまる様子を見せたという。11月のことであり寒かったがそこまでではなかったことから、精神的なことがあってのことだったろうと和久田は語っている[3]

関連書籍

  • 松本徹・佐藤秀明・井上隆史・山中剛史編『同時代の証言 三島由紀夫』鼎書房、2011年。ISBN 978-4907846770

脚注

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