トップQs
タイムライン
チャット
視点

ショーン・バーグマン

アメリカ合衆国のプロ野球選手 (1970-) ウィキペディアから

Remove ads

ショーン・フレデリック・バーグマンSean Frederick Bergman, 1970年4月11日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手投手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

来歴・人物

南イリノイ大学から1991年デトロイト・タイガースに入団。その後サンディエゴ・パドレスヒューストン・アストロズアトランタ・ブレーブス、再びアストロズ、ミネソタ・ツインズを経て2000年シーズンオフにトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。2001年シーズンは、メジャー昇格まであと少しという時期にドジャース副社長であり、日本の大阪近鉄バファローズのスペシャルアドバイザーであったトミー・ラソーダから日本行きを打診され、来日。

当時の近鉄は投手陣が壊滅状態にあり、3点取られたら打線が5点を取り返す野球で何とか上位に踏みとどまっていた。そんな中、バーグマンには右のエースとしての期待に応え、長身(193cm)から投げ下ろす威力のあるストレートでたちまち右のエースに成長。10勝をあげ、特にオリックス戦では5勝をあげ、オリックスキラーとして活躍。チームの優勝に貢献した。近鉄が優勝を決めた9月26日の対オリックス戦(大阪ドーム)でも先発しているが、この試合は5回途中4失点で降板している[1]

2002年はチームの開幕投手に指名され、勝利投手となった。だが、元々球種のバリエーションが少ない投手で、得意だったオリックスにも攻略されるようになる等、わずか4勝に留まり、期待を裏切る成績だった。前年の2001年の同時期に来日したパウエルは、年齢が若く、かつ、「伸びしろ」があることから翌2003年以降もチームに残留したのとは対照的に、バーグマンはこの年限りで退団となった。

近鉄退団後は米球界に復帰し、2003年にはフロリダ・マーリンズ傘下のAAAチームに、2004年にはボルチモア・オリオールズ傘下のAAAチームに所属し、シーズンオフにフリーエージェントとなるが獲得球団はなく、そのまま現役を引退。

Remove ads

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
  • 「-」は記録なし

記録

NPB

背番号

  • 43 (1993年 - 1995年)
  • 44 (1996年)
  • 40 (1997年)
  • 38 (1998年 - 2000年)
  • 42 (2001年 - 2002年)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads