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ジェンソン・ブルックスビー

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ジェンソン・ブルックスビー
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ジェンソン・タイラー・ブルックスビーJenson Tyler Brooksby, 英語発音: /ˈʤɛnsən ˈtaɪlər ˈbrʊksˌbi/[1]; 2000年10月26日 - )は、アメリカ合衆国出身の男子プロテニス選手。ATPランキング自己最高位はシングルス33位。ダブルス1403位。ATPツアーでシングルス1勝を挙げている。身長193cm、体重83kg。右利き、バックハンドは両手打ち。愛称はJ.T.。7歳からJoseph Gilbertがコーチを務めている。

概要 ジェンソン・ブルックスビーJenson Brooksby, 基本情報 ...
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選手経歴

要約
視点

2018年 グランドスラム初出場

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2018年全米オープンでのジェンソン・ブルックズビー

2018年のUSTAのアンダー18の全国大会でブランドン・ナカシマ下して優勝し、ワイルドカードとして全米オープンの出場権を獲得[2]。同大会では1回戦でジョン・ミルマンに初戦敗退となった[3]。年間最終ランキングは978位。

2019年 グランドスラム初勝利

全米オープン予選で内田海智杉田祐一ペドロ・マルティネスらを下して2年連続本戦入り。1回戦でトマーシュ・ベルディヒ (当時世界ランキング98位)を破り、グランドスラム初勝利を挙げた。2回戦でニコロズ・バシラシビリにストレートで敗れた。このバシラシビリとの試合で右腕を負傷。更に2019年12月に足の付け根を痛め、2020年シーズンは全休となった[4]。2019年9月にベイラー大学に進学した[5]が、2020年12月に大学を中退[6]。年間最終ランキングは269位。

2021年 トップ100入り

2021年2月に下部ツアーで復帰すると、同月行われたポチェフストルーム・オープン英語版ガバシビリを下しチャレンジャー初優勝を挙げる。更に3月のクリーブランド・チャレンジャー英語版で準優勝、4月のオーランド英語版タラハシー英語版のチャレンジャー大会でも優勝を挙げる。

5月の全仏オープンの予選で、シュテーベ英語版ヒュースラー英語版フルネス英語版らを下し本戦進出。1回戦で第24シードのカラツェフにストレートで敗れた。

7月のテニス殿堂選手権で、ドンスコイ英語版クドラゴヨフチクトンプソンらを下してATPツアーで初めて決勝に進出。決勝ではケビン・アンダーソンと対戦し、0-2で敗れ準優勝となった。

8月のワシントン・オープンの準決勝でシナーに敗れベスト4となったが、この大会でATPシングルスランキング99位となり、トップ100入りを果たす。翌週のロジャーズ・カップマスターズデビューを果たすが、1回戦でバシラシビリに1-2で敗れた。

9月の全米オープンでは、1回戦のマイケル・イマーを3-1、2回戦のフリッツも3-1で下す。3回戦で第21シードのカラツェフと対戦。フルセット・3時間50分に及ぶ試合の末、ブルックスビーが勝利を挙げた。続く4回戦で当時ランキング1位のジョコビッチと対戦。1セット目を先取するが、2セット目以降はジョコビッチがセットを取り敗れた。

10月のインディアンウェルズの1回戦でイルケル英語版を下しマスターズ初勝利。2回戦で第3シードのズベレフと対戦し1-2で敗れた。同月のアントウェルペンで予選を突破すると、オペルカファン・デ・ザンツフープダビドビッチ・フォキナらを下し、準決勝でシュワルツマンに敗れベスト4。

11月のパリ・マスターズでは予選を突破するも、腹部のケガで本戦を棄権し、シーズンを終えた[7]

ATPシングルスランキングは、年始の310位から、年末は56位まで順位を上げた。この功績から、ATPはブルックスビーを2021年ニューカマー・オブ・ザ・イヤーの一人に選出した[8]。年間最終ランキングは56位。

2022年 トップ50入り

1月、全豪オープンに出場予定であったが、COVID-19の陽性反応が検出されオーストラリアに入国出来なくなったため、大会を欠場した[9]

2月、ダラス・オープンではアンドレアス・セッピジョーダン・トンプソンマルコス・ギロンらを下し、2回目のATPツアー決勝進出。決勝でライリー・オペルカに敗れ、準優勝となった[10]。大会後に世界ランキング45位を更新して、トップ50入りを果たした。同月のアカプルコでは1回戦で第2シードのアレクサンダー・ズベレフに初戦敗退。

3月のインディアンウェルズではカルバリェス・バエナカレン・ハチャノフらを下すと、3回戦で第5シードのステファノス・チチパスと対戦。1セット目はチチパスが取るも、2、3セット目を取り返し、トップ10相手に初勝利を挙げる[11]。続く4回戦では第12シードのキャメロン・ノーリーに敗れ、ベスト16となった。年間最終ランキングは48位。

2023-2024年 出場停止処分

2023年1月、全豪オープンでは1回戦でクリストファー・オコネル英語版を3-6, 6-2, 6-3, 6-3の逆転で破り、初戦突破。2回戦では当時世界ランキング3位かつ第2シードのキャスパー・ルードに6-3, 7-5, 6-7(4), 6-2で破り、グランドスラム初の3回戦進出。同時にトップ3選手からの初勝利となった[12]。3回戦では同胞のトミー・ポール (テニス) に1-6, 4-6, 3-6のストレートで敗退。同年3月、手首の手術のため数ヶ月休養を取ることとなった。さらに7月にはドーピング検査で禁止薬物に陽性反応を示したことで2025年1月まで出場停止処分を受けた。

2024年2月にはスポーツ仲裁裁判所に異議を申し立てて、13ヶ月間に大幅に短縮され、2024年3月3日に競技復帰資格を得た[13]

2025年 ツアー初優勝

約2年ぶりにツアー復帰を果たし、1月の全豪オープンにはプロテクト・ランキングを活用して本戦から出場。1回戦では同胞の第4シードのテイラー・フリッツに2-6, 0-6, 3-6のストレートで初戦敗退となった。4月の全米男子クレーコート選手権では予選にワイルドカード(主催者推薦枠)で出場すると、世界ランキング507位から予選2試合を勝ち抜き本戦入り。準決勝で第1シードのトミー・ポール (テニス) を7-6(5), 3-6, 7-6(6)激闘の末にフルセットで破り、決勝進出を果たすとともに、1990年にATPツアーが創設されて以降、世界ランキング500位外からツアー大会決勝進出を果たした史上6人目の選手となった[14]。決勝では第2シードのフランシス・ティアフォーを6-4, 6-2のストレートで破り、ツアー初タイトルを獲得した。大会後の4月7日付の世界ランキング更新で172位に浮上し、トップ200復帰をした[15]

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人物

出典: [4][16]

  • 名前の「ジェンソン」は父親がF-1のファンで、ジェンソン・バトンから名付けられた。
  • 4歳のころからテニスを始めた。両親がジェンソンを学校に連れて行くのを待っている間、ガレージのドアにおもちゃのボールで壁打ちをしていたという。12歳からテニスに専念し、プロを目指すようになった。
  • チームスポーツよりも、勝敗が自身の力のみで決定される個人スポーツを好む。
  • 好きなテニス選手はラファエル・ナダル
  • 9歳からピアノを習っており、クラシック音楽を演奏することでリラックスできるという。現在も時折レッスンを受ける。また、ロック音楽も好んで聴く。
  • バックハンドのスライスも両手で打つ特徴的な打ち方をする。
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ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 0勝2敗

大会カテゴリ
グランドスラム (0–0)
ATPファイナルズ (0–0)
ATPツアー・マスターズ1000 (0–0)
ATPツアー500 (0–0)
ATPツアー250 (0–2)
サーフェス別
ハード (0–2)
クレー (0–0)
グラス (0–0)
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成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

シングルス

グランドスラム

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大会最高成績

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ATPチャレンジャー・ITFワールドテニスツアー決勝

シングルス: 6勝1敗

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脚注

外部リンク

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