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ジョアン・ディクソン・カルバリオ
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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ジョアン・ディクソン・カルバリオ(João Dickson Carvalho、1952年12月29日[1] - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。登録名は「カルバリオ」。
来歴
セルジオ越後の勧誘を受け1975年に日本の藤和不動産サッカー部(後にフジタ工業クラブサッカー部と改称、現在の湘南ベルマーレ)に加入。セルジオは程なくしてクラブを離れるが、カルバリオはエースストライカーとしてマリーニョやセイハン比嘉らのブラジル人選手と共に1977、1979、1981年に日本サッカーリーグ制覇に導き、黄金時代を築いた。自身も1977、1978年には得点王に輝いた[2]。日本リーグ通算117得点は歴代2位(1部通算77得点は歴代3位)。1977年の23得点は日本リーグの1シーズン最多得点記録である。
引退後は奥寺康彦の主催したサッカースクールのコーチを務めた(この間に『ビートたけしのスポーツ大将』のサッカーコーナーにカルロス・ニコトラと共にたけし軍の助っ人として出演経験もある)が、その後ブラジルへ帰国。コーチングライセンスを取得し兄が会長を務めるサンパウロ州リーグ2部(Campeonato Paulista da Segunda divisão、4部リーグに相当)のバレットスECのディレクターを務めている。
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所属クラブ
グアラニFC
バレットスEC
フルミネンセFC
アラグリア
リオプレットEC
- 1974年 - 1982年
藤和不動産/フジタ工業
- 1983年 - 1986年
横浜トライスター/全日空横浜
個人成績
日本国内成績
・JSL東西対抗戦 3回出場(1979年、1980年、1981年)
・JSL東西対抗戦 1得点(1979年)
個人タイトル
- 日本年間最優秀選手賞 1回(1977年)
- 日本サッカーリーグ 得点王 2回(1977年、1978年)
- 日本サッカーリーグ ベストイレブン 5回(1977年、1978年、1979年、1980年、1981年)
脚注
参考文献
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