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ジョン・ミケル・オビ

ナイジェリアのサッカー選手 ウィキペディアから

ジョン・ミケル・オビ
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ジョン・ミケル・オビJohn Mikel Obi)ことジョン・マイケル・ンチェクベ・オビンナJohn Michael Nchekube "MIKEL" Obinna1987年4月22日 - )は、ナイジェリアジョス出身の元サッカー選手。元ナイジェリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダーレッジーナ1914所属のジョエル・オビはいとこである。

概要 ジョン・ミケル・オビ, 名前 ...
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経歴

クラブ

18歳でマンチェスター・ユナイテッドFCチェルシーFCがあらゆる手段を駆使した獲得争いを繰り広げていた選手である。 主に中盤の底でプレーし、ドリブル、スルーパス、FKとハイレベルなスキルを備える。2005 FIFAワールドユースでシルバーボール賞を受賞した。

元マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが3年もの間追い続け、2005年4月末にマンチェスター・ユナイテッドが彼の獲得でFCリン・オスロと合意と発表したが彼の所有権はリンではなくチェルシーが持っていたためチェルシー側がこれを不服として抗議、結局この移籍は取り消された。その後金の積み合いとなったが、最終的にチェルシーが1600万ポンド(当時では約33億円)の移籍金で獲得した。しかし、マンチェスター・ユナイテッドとの関係を悪くしないようにするためか、移籍金の4分の3の1200万ポンドはマンチェスター・ユナイテッドへ、残りの400万ポンドがミケル自身に渡されることで決着した。

チェルシー加入後は主に控え選手として試合に出場していたが、レディングFC戦でレッドカードを提示され、退場となってしまった。その後は出場機会をなくしてしまっていたが、リーグ戦の対ウィガン・アスレティックFC戦で控えとして出場し、リーグ・カップのマクルズフィールド・タウンFC戦で1ゴールを決め、チームの勝利に貢献した。

2017年1月6日には、11年間在籍したチェルシー時代に別れを告げた。

同年、中国の天津泰達足球倶楽部への移籍が発表された[1]

2019年1月24日、ミドルスブラFCに移籍した[2]

2020年8月17日、ストーク・シティFCに移籍した[3]

2021年7月1日、アル・クウェートSCに移籍[4]。同年11月4日に退団[5]

2022年9月27日、現役引退を発表した[6]

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エピソード

  • 2003年フィンランドで行われたFIFA U-17ワールドカップに出場した際、ユニフォームに"MICHAEL"のスペルが"MIKEL"と間違ってプリントされていた。それを気に入ったらしく、それからはミケルという名前を登録名としている。
  • 2006-07シーズンにチェルシーがFAカップで優勝したが、誤って優勝カップを落として傷をつけてしまった。
  • 2011年8月12日に父親がナイジェリアのジョスで誘拐されたが[7]、22日にカノで保護された[8]
  • 主将として出場した2018 FIFAワールドカップ ロシア大会では、グループリーグ第3戦目のアルゼンチン戦の4時間前に父親が再び誘拐される事件が発生した[9]。ミケルはそれを知りながら、関係者やチームメイト等には一切明かさず試合にフル出場している(試合は1-2で敗れ、グループリーグ敗退が決定した)。後に父親は拷問による怪我を負うも無事に解放された。
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個人成績

クラブでの成績

2020年3月17日現在 出典:soccerway.com

さらに見る クラブ, シーズン ...
  1. 予選、プレーオフも含む。
  2. 予選、プレーオフも含む。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 91試合 6得点(2006年-2019年)[10]
さらに見る ナイジェリア代表, 国際Aマッチ ...

得点

さらに見る #, 日時 ...
  1. 勝(○)、分(▲)、敗(●)
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タイトル

クラブ

チェルシー
トラブゾンスポル

代表

脚注

外部リンク

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