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ジョー・シーウェル
アメリカ合衆国の野球選手 (1898-1990) ウィキペディアから
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ジョー・シーウェル(Joseph Wheeler "Joe" Sewell , 1898年10月9日 - 1990年3月6日) は、アメリカ合衆国アラバマ州テトス生まれのメジャーリーグ選手(内野手)。1920年代 - 1930年代に活躍し、メジャーリーグ史上最高のコンタクトヒッターといわれる。
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経歴
1920年にサザンリーグのニューオーリンズからクリーブランド・インディアンスに入団する。野球一家であり、弟のルーク・シーウェルとトミー・シーウェル、いとこのリップ・シーウェルも後にメジャーリーグの選手になっている。シーウェルは、この年に頭部への死球の事故によって急逝した遊撃手のレイ・チャップマンの後釜を任されることになった。22試合で70打数23安打、.329の成績を残す。翌1921年からインディアンスのレギュラーに定着、打撃面でもコンスタントに3割をマークする打者になった。1923年には打率.353と109打点を挙げる活躍をし、翌1924年はリーグ最多の45二塁打と106打点を記録した。インディアンスには1930年まで計11年在籍したが、打率が3割を切ったシーズンは2回しかなかった。
一方で1923年以降は毎年全試合出場を続け、1930年までに当時最長となる1103試合の連続出場の記録を作ったが、1930年シーズン途中にニューヨーク・ヤンキースに放出され、連続試合出場の記録は途絶えてしまう。
三振の少なさもシーウェルの特徴だった。特に1925年以降、毎年100試合以上出場しながら1シーズンの三振数が10未満という少なさだった。1929年シーズンには115試合無三振というメジャーリーグ記録を作り、ヤンキースでワールドシリーズに出場した1932年は、打数503に対してわずか3三振しかしなかった。1933年オフにヤンキースから放出され、34歳でメジャーリーグから引退した。
1977年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入りを果たす。1990年にアラバマ州モービルで死去。満91歳没。
抜群のミートの巧さからバットを折られることが無く、14年の現役生活をたった一本のバットで乗り切った話が有名である。このバットは入団の際、当時のインディアンスの一塁手だったジョージ・バーンズからもらったもので、シーウェルはこのバットに「ブラック・ベッツィー」と名前をつけ、日頃からコーラの瓶と噛み煙草で入念に手入れをしていたそうである。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 連続試合出場:1103(1922年 - 1930年、2007年現在で歴代7位)
- 通算打数/三振率(3000打席以上):62.6(歴代1位)
- 連続無三振試合数:115(1929年5月17日 - 9月19日)※メジャーリーグ記録
- ワールドシリーズ出場:2回 (1920年、1932年)
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関連項目
出典・外部リンク
- Baseballhalloffame.org – アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
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