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ステファン・フース
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ステファン・フース(Stephen Huss, 1975年12月10日 - )は、オーストラリア・ビクトリア州ベンディゴ出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルスでウェスリー・ムーディ(南アフリカ)とペアを組んで優勝した選手である。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、ATPツアーでは1度もシングルスへのエントリーがない。2005年ウィンブルドン選手権を含むダブルス4勝を挙げた。日本語では「ステファン・ハス」の表記も見られる。
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来歴
フースは1990年代にスウェーデンテニス界を代表するトップ選手だったニクラス・クルティをいとこに持ち、両親ともスウェーデン人の家庭で、オーストラリア・ベンディゴの地に誕生した。彼は1996年から2000年までアメリカ合衆国アラバマ州オーバーン大学でスポーツ科学を学び、副専攻科目として心理学を履修しながら、学生テニス競技大会で93個のダブルス・タイトルを獲得した。大学卒業後の2000年にプロ転向。2002年4月のハサン2世グランプリでマイルズ・ウェイクフィールドと組んで男子ツアーダブルス初優勝を果たす。
フースのテニス経歴のハイライトは2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルス優勝である。フースはウェスリー・ムーディとペアを組んで予選を勝ち上がり、本戦2回戦でマヘシュ・ブパシ/トッド・ウッドブリッジ組を6-3, 7-6, 6-3のストレートで破って波に乗る。長年にわたってダブルスの王者として君臨したウッドブリッジは、この試合の敗戦を最後に現役を引退した。フースとムーディは、準々決勝でマーク・ノールズ/ミカエル・ロドラ組、準決勝でヨナス・ビョルクマン/マックス・ミルヌイ組と強豪ペアを連破し、決勝では第2シードのブライアン兄弟と対戦した。初の決勝で、伏兵のフース/ムーディ組はブライアン兄弟を7-6, 6-3, 6-7, 6-3で破って優勝した。予選勝者のウィンブルドン優勝は、選手権の歴史を通じて史上初の出来事であり、フースにとっては3年ぶりのATPツアーダブルス2勝目になった。しかし、フースとムーディは全米オープンで男子ダブルス1回戦敗退に終わった。
フースは日本のジャパン・オープン・テニス選手権に6度出場しており、2007年にこの大会で準優勝があった。パートナーはカナダのフランク・ダンチェビッチで、決勝でジョーダン・カー/ロベルト・リンドステット組に4-6, 4-6で敗れて優勝を逃した。2008年9月のチャイナ・オープンでロス・ハッチンスと組んで優勝し、2005年ウィンブルドン選手権以来のダブルス3勝目を獲得した。
2010年10月の南フランス・オープンでダブルス4勝目を挙げたのが最後の優勝になり、2011年10月に現役を引退した[1]。
フースは2009年12月29日にベネズエラのテニス選手であるミラグロス・セケラと結婚した。2011年に第1子の長女が誕生している。
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ATPツアー決勝進出結果
ダブルス: 12回 (4勝8敗)
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脚注
外部リンク
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