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タキカワカイギュウ
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タキカワカイギュウ(Hydrodamalis spissa)は、ジュゴン科ステラーカイギュウ属に属する、新第三紀鮮新世前期(約500 - 400万年前)に生息した海牛目の哺乳類の種[1]。日本の北海道の滝川市と沼田町で化石が産出しており、特に滝川市で最初に発見された滝川第1標本が1個体のほぼ全身を保存した骨格である[4]。滝川第1標本は滝川市の指定文化財、また北海道天然記念物に指定されている[5]。
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研究史
発見から命名まで
タキカワカイギュウの最初の化石は、北海道滝川市を流れる空知川の河床にて、1980年8月10日に久野春治により発見された[6]。当時は空知川が渇水しており、久野は珍しい岩石を求めて巡検中であった[7]。産地の地層はフィッショントラック法と珪藻の生層序とに基づいて約3.7 - 4.7Maよりもやや古いと推定されている[4]。
この発見は北海道開拓記念館を通じ、古沢仁を含む深川クジラ発掘調査団へ伝えられた[8]。報告を受けた翌日[8]、すなわち久野による発見から3日後に古沢らは産地を訪れた[6]。頭部の骨を見出せなかったものの、古沢らは何かしらの動物のほぼ1個体分の骨が産出していることを確認した[8]。当日は降雨により川が増水していたこともあって詳細な分類の検討が不能であったが[8]、暫定的に古沢らはこれを体サイズから鯨類のものと見なしていた[6]。
発掘・研究・教育普及といった活動は滝川市民が積極的に参加した[9]。発掘は、市内の小中学校の教師を中心として結成された滝川化石クジラ研究会の調査研究部により実施された[8]。発掘調査が着手されたのち、同年9月には肩甲骨の背側に位置する肩甲棘が露出し、当該の化石が海牛目の哺乳類のものであることが確実視された[8]。発掘された化石は滝川市高齢者事業団によりクリーニングを受け、また彼らによりレプリカも作成された[8]。
調査研究の過程で本標本はTMNH 001という標本番号で管理された[4]。古沢仁・木村方一 (1982) は本標本を「タキカワカイギュウ」と命名した[3]。Furusawa (1988)[2]は本標本が新種の海牛類を代表するものであるとしてHydrodamalis spissusとして記載した[4]。命名者である古沢仁はのちに個人間のやり取りで他の研究者から指摘を受け、属名と種小名との性の不一致を認め、本種の種名をHydrodamalis spissaと改めた[4]。種小名は「濃厚で緻密」を意味し、全身の構造や骨組織の構造を反映している[9]。
その他の標本の発見
タキカワカイギュウは全身骨格である滝川第1標本以外にも複数の標本が発見されている[4]。1つは滝川市内で産出した幼獣の左前位肋骨である滝川第2標本、もう1つは沼田町で産出した成獣の左第7肋骨である沼田第1標本(NAF 7015)である[4]。沼田第1標本の絶対年代は5.0±0.2Maよりもやや新しいと推定されている[4]。約500万年前には滝川市から沼田町にかけて湾が広がっており、タキカワカイギュウは当該の湾に広く分布したと推測される[4]。
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特徴
タキカワカイギュウは全長約7メートルに及ぶ大型の海牛類である[7]。発見当時は鯨類の化石と誤認されていたが、椎骨が前後に短く、肋骨が太く発達し、神経棘や血道弓が発達しないという海牛類に共通する特徴を持つ[6](なお同属であるステラーカイギュウと比較しても全体的に神経棘が低く薄い[10])。また鯨類でないことの確実な証左となった肩甲棘も発達している[6]。
歯は消失しているが[9]、側頭稜が大きいことから側頭筋が発達していたと見られ、その筋力は同属かつ現生のステラーカイギュウを上回ったと推測される[10]。また翼状突起も発達しており、これに付着する内翼突筋や外翼突筋が発達していた可能性も類推されている[10]。この場合、タキカワカイギュウは歯による咀嚼力を喪失しながらも、吻部で海藻を挟み込むことが可能であったと見られる[10]。
上腕骨の上腕尺靱帯付着粗面は滑車関節面の中央付近で円形をなしており、ステラーカイギュウと共通する[11]。横突起は第3胸椎以降斜上し(ステラーカイギュウでは第4胸椎以降[10])、また後位の胸椎で短縮する[11]。肋骨は弱く長く湾曲しながら巨大な胸郭を形成しており[4]、ステラーカイギュウと比較しても湾曲が弱い[12]。肋骨の遠位部は前位 - 中位において肥厚し、後位において矮化する[11]。第16肋骨以降の後位肋骨は肋骨頭が肋骨結節と癒合する[11]。
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進化

タキカワカイギュウはステラーカイギュウ属(ヒドロダマリス属)に属する。タキカワカイギュウと同じく北太平洋西部に生息したステラーカイギュウ属にはサッポロカイギュウ(約820万年前)やステラーカイギュウ(約200万年前 - 現代)がおり、約500 - 400万年前のタキカワカイギュウは両者の中間的な時代に生息していた[1]。また北太平洋東部にはH. cuestaeが約700 - 200万年前に生息していた[1]。これらのステラーカイギュウ属はステラーカイギュウ亜科(ヒドロダマリス亜科)における派生的な属であり、同亜科を構成するより基盤的な属としてヤマガタダイカイギュウに代表されるドゥシシレン属がある[1]。
以下はFurusawa (2004)に基づくステラーカイギュウ亜科の類縁関係を示すクラドグラム[13]。
| 北太平洋の海牛目 |
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文化的価値

タキカワカイギュウの産出は、当初純粋な美術館としての設置が考案されていた滝川市美術自然史館の開設に大きく影響した[8]。札幌市と旭川市の北海道内二大都市に挟まれた滝川市では地方博物館に独自性が求められると考えられており、滝川市で産出したタキカワカイギュウはその独自性を高める存在として白羽の矢が立った[8]。1986年に美術自然史館が開設され、タキカワカイギュウは自然史部門の常設展示の主軸として扱われている[7]。
またタキカワカイギュウの滝川第1標本は美術自然史館の開館に先立って、1984年に北海道天然記念物に指定された[7]。当該標本は同館に所蔵されている[7]。
出典
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