トップQs
タイムライン
チャット
視点

ダフィー・ルイス

アメリカ合衆国の野球選手 (1888-1979) ウィキペディアから

ダフィー・ルイス
Remove ads

ダフィー・ルイス(George Edward "Duffy" Lewis、 1888年4月18日 - 1979年6月17日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身のプロ野球選手左翼手)。右投げ右打ち。

概要 基本情報, 出身地 ...
Remove ads

経歴

カリフォルニア大学セントメリーズ校を卒業後、1909年にパシフィックコーストリーグのオークランドからレッドソックスに入団した。1910年にメジャーデビューし、1年目から151試合に出場、.283の打率を残す。

この年から1915年まで不動のオーダーだったレッドソックスの外野陣(トリス・スピーカーハリー・フーパー、ダフィー・ルイス)は、後に『最強の外野陣』と呼ばれた。当時フェンウェイ・パークのレフトフェンス(現在のグリーンモンスター)の前にあった高さ10フィートほどの丘を、ルイスは自由に上り下りすることができたという。後にこの丘は『ダフィーズ・クリフ(Duffy's Cliff)』と呼ばれるようになった。レッドソックスはルイスの在籍中に3度ワールドシリーズに出場し、いずれもシリーズを制覇している。特に1915年のワールドシリーズでは、ルイスはこの年のレギュラーシーズンで2本だった本塁打をワールドシリーズで放ち、18打数8安打、打率.444で5打点を上げる活躍をした。

チームへの功績の大きかったルイスだが、1918年第一次世界大戦に従軍したためメジャーではプレーせず、その年のオフにダッチ・レナードアーニー・ショアと共にニューヨーク・ヤンキースにトレードされる。ヤンキースには2年在籍したが目だった活躍はできず、1921年にワシントン・セネタースで27試合に出場したのを最後に、メジャーリーグから引退した。

引退後は1932年から1935年まで、ボストン・ブレーブスのコーチを務めていた。1979年にカリフォルニア州セーラムで91歳で死去。2002年にレッドソックス球団の殿堂入り選手となった。

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

投手記録

  • 通算記録:1試合、投球回1.0、被安打3、被本塁打0、自責点2、防御率18.00

獲得タイトル・記録

  • ワールドシリーズ出場:3回(1912,1915,1916年)
  • シーズン最多犠打数:31(1912年)
Remove ads

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads