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ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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ダヴィ・ジョゼ・シウヴァ・ド・ナシメント(Davi José Silva do Nascimento, 1984年3月10日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。
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来歴
要約
視点
2007年にブラジルのECヴィトーリアからJ2・コンサドーレ札幌に加入。当初の契約は2007年7月31日までの期限付き移籍契約であった[2]。カウエと共にシーズン終了までの期限付き移籍契約を延長され、[3] 同年最終節対水戸戦では2得点を挙げ、J1参入を経験した。
2008年度から札幌への完全移籍となった[4]。シーズン途中の9月にはカタールのアル・サッドへの移籍話が持ち上がったが、契約が成立せず札幌に残留[5]。札幌はJ2に降格したものの、チーム総得点の4割にあたる16得点を挙げ、鹿島のマルキーニョスに次いでJ1得点ランク2位となった。
2009年から、J1の名古屋グランパスへ移籍金約3億円で完全移籍[6][7]。1月にはギリシャのメディアによって同国リーグの強豪オリンピアコスへの移籍に関する報道もされた[8][9] が、同年7月9日、カタールリーグのウム・サラルSCへの移籍がクラブ間で合意[10]。そして、同年7月22日に名古屋からウム・サラルへの完全移籍が正式に決定した[11]。移籍金は500万ドル(当時のレートで4億8千万円)[12]。しかし給料未払いの問題や妻のホームシック、ストーカー被害などもあり、Jリーグ復帰を熱望しているとインタビューで述べた。[12]。
2011年3月、中国サッカー・スーパーリーグの北京国安に期限付き移籍していたが、怪我を理由に1ヶ月で契約を解除された[13]。
2011年7月から、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍[14]。2年ぶりにJリーグでプレーすることになった。移籍金に関しては、佐久間悟GMが「(ダヴィと金珍圭の2人で)本来なら3億円かかるが、かなり安く獲得できた」としている[15]。この年は長く試合から遠ざかっていたことによる調整不足もあり、10試合で無得点と結果を残せなかったが、翌2012年は復調。38試合で32得点を挙げ、2位を大きく引き離してのJ2得点王に輝き、甲府の1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
ダヴィは結果を残したことで、甲府からの慰留も含め争奪となったが、2013年より200万ドルの移籍金と100万ドルの年俸を提示した[16]鹿島アントラーズへの完全移籍が決まった。
10月19日に行われた第29節浦和戦で、試合直後から森脇良太と小競り合いを繰り返し、後半15分に森脇とダヴィが怒り繰り返しの違反でイエローカード、その判定に納得の行かないダヴィが直後に森脇を小突き倒した為、両者にイエローカードが提示され退場処分を受けた。
2014年シーズンは、大迫が移籍したこともあり、センターFWでレギュラーに復帰。19節名古屋戦、22節FC東京戦で献身的な守備からゴールを奪う活躍を見せていた[17][18] が、28節柏レイソル戦で、接触のないプレーで膝を故障し、左膝前十字靭帯損傷および左膝外側半月板損傷で全治8か月と診断され、2014年シーズンは残り試合を全て欠場[19]。2015年シーズンもこの負傷の影響で1stステージは欠場したが、2ndステージ1節アルビレックス新潟戦で266日ぶりに復帰[20]。10試合に出場したが、コンディションが戻らず、シーズン後契約満了で退団が発表された[21]。
2016年8月3日、4年ぶりにヴァンフォーレ甲府に復帰した[22] が、復帰初戦で退場処分を受けるなどふるわず、同年12月12日、契約満了に伴い退団した。
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人物
日本食では「札幌在籍中に好きになった」という味噌ラーメンが大好物。甲府に在籍していた2012年当時も「週に2回は食べていた」という[27]。それ以外には味噌汁・ブドウなども好んでいる[28]。
個人成績
- 出場歴
タイトル
クラブ
- ECヴィトーリア
- バイーア州選手権:1回(2005年)
- コンサドーレ札幌
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2007年)
- ヴァンフォーレ甲府
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2012年)
- 鹿島アントラーズ
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2013年)
- ヤマザキナビスコカップ:1回(2015年)
個人
- J2リーグ得点王:1回(2012)
脚注
関連項目
外部リンク
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