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ニコラス・ラペンティ
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ニコラス・アレクサンダー・ラペンティ・ゴメス(Nicolás Alexander Lapentti Gómez, 1976年8月13日 - )は、エクアドル・グアヤキル出身の男子プロテニス選手。1999年の全豪オープン男子シングルスでベスト4に入った選手で、エクアドルのテニス選手として1990年の全仏オープン優勝者アンドレス・ゴメス以来の世界ランキングトップ10入りを果たした選手である。自己最高ランキングはシングルス6位、ダブルス32位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス3勝を挙げた。身長188cm、体重86kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。アンドレス・ゴメスとは親族関係でもあり、ゴメスはラペンティの母親のいとこにあたる。弟のジョバンニ・ラペンティもプロテニス選手。

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来歴
6歳からテニスを始め、1993年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップエクアドル代表選手となる。それ以来、ラペンティは2007年を除き17年デビスカップに出場し、チーム成績でもアンドレス・ゴメスを抜き歴代1位の「61勝34敗(シングルス41勝16敗、ダブルス20勝18敗)」の成績を挙げている。1995年にプロ入りし、その年にコロンビア・オープンでツアー初優勝。1999年全豪オープンで、ラペンティは準々決勝で第7シードのカロル・クチェラを7-6, 6-7, 6-2, 0-6, 8-6で破ってベスト4に進出した。準決勝でトーマス・エンクビストに3-6, 5-7, 1-6で完敗した。全豪で4強入りした1999年、ラペンティはツアーでもシングルス2勝を挙げ、同年末に世界ランキングを自己最高の6位に上げた。
2000年はジャパン・オープン・テニス選手権で、シェング・シャルケンに4-6, 6-3, 1-6で敗れた準優勝がある。2002年ウィンブルドン選手権でベスト8進出し、大会初出場だったアルゼンチンのダビド・ナルバンディアンに4-6, 4-6, 6-4, 6-4, 4-6の接戦で敗れた。オリンピックは1996年のアトランタ五輪、2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪に出場したが、いずれも男子シングルス1回戦で敗れている。
デビスカップでのラペンティは、デビスカップ2000ワールドグループ・プレーオフでティム・ヘンマンやグレグ・ルーゼドスキー擁するイギリスに勝利し、デビスカップ2001ワールドグループ進出を果たした。しかし、ワールドグループ1回戦ではオーストラリアに1勝4敗で敗れ、ワールドグループ・プレーオフでもイギリスに敗れたため、再びアメリカ・ゾーン・グループ1に逆戻りしてしまった。その後も2003年と2005年にワールドグループ・プレーオフまで進出しているが、ワールドグループ復帰には届かなかった。2009年のブラジルとのプレーオフで、シングルスでトマス・ベルッシとマルコス・ダニエルに勝利、弟のジョバンニと組んだダブルスでもアンドレ・サ/マルセロ・メロ組に勝利して通算3勝2敗で勝利して、2010年はワールドグループ復帰を果たしている。
2010年全仏オープン男子シングルス1回戦でテーラー・デントに敗れた試合が最後の試合出場となり、ラペンティは2011年1月に現役引退を正式に発表した[1]。
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ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 12回 (5勝7敗)
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ダブルス: 7回 (3勝4敗)
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4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
脚注
外部リンク
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