トップQs
タイムライン
チャット
視点

バクルー公

ウィキメディアの一覧記事 ウィキペディアから

Remove ads

バクルー公爵: Duke of Buccleuch、発音:/bəˈkluː/)は、イギリスの公爵位。1663年4月20日、イングランドチャールズ2世スコットランド王としてもチャールズ2世)が、愛妾ルーシー・ウォルターとの間にもうけた庶子、初代モンマス公爵ジェイムズ・スコットスコットランド貴族として授けた。1810年以降、クイーンズベリー公爵と継承者を一にする。次項では、前身となったバクルー伯爵の歴史についても触れる。

概要 バクルー公爵Duke of Buccleuch 兼 クイーンズベリー公爵, 創設時期 ...
Remove ads

歴史

要約
視点

スコット家の勃興

サー・ウォルター・スコット英語版(1565-1611)1606年スコットランド貴族としてバクルーのスコット卿 (Lord Scott of Buccleuch) に叙されたことが、スコット家勃興の端緒である[1]

その息子である2代卿ウォルター (?-1633)1619年バクルー伯爵 (Earl of Buccleuch) に陛爵するとともに、併せてフィッチェスター及びエスクデイルのスコット卿 (Lord Scott of Whitchester and Eskdaill) に叙せられた[註釈 2][2]。初代伯ののちは、息子のフランシスが爵位を相続した[3][4][5][6]

2代伯フランシス (1626-1651) は長男に先立たれていたため、爵位は長女のメアリー (1647-1661) が承継した。しかし彼女もまた子がなかったため、爵位はさらに次女アン (1651-1732) に相続された[7]

モンマス公との婚姻による公爵位叙爵

Thumb
モンマス公ジェイムズ・スコット

4代女伯アンはチャールズ2世の庶子ジェイムズ・クロフツ (1649-1685) と結婚したのち、1663年にスコットランド貴族爵位のバクルー女公爵 (Ducchess of Buccleuch) に叙せられた。また、夫ジェイムズも併せてバクルー公爵 (Duke of Buccleuch) 及びモンマス公爵 (Duke of Monmouth) に授爵された[註釈 3][3][4]。これが公爵家の嚆矢である。しかし1685年6月11日にジェイムズが反乱を起こしたため、7月15日に反逆罪で処刑されてしまう[8]。しかし、アンは彼女の権利としての叙爵であったため、反乱後も私権剥奪されることはなかった[9]。これ以後、バクルー公位はモンマス公ジェイムズとアンの子孫に継承された。

初代公爵アンは息子であるダルキース伯爵ジェイムズに先立たれていたため、爵位は孫のフランシスに継承された[9]

公爵家としてのスコット家

2代公爵フランシス (1694-1751)クイーンズベリー公爵家令嬢ジェイン・ダグラスと結婚した。また、初代公ジェイムズの保持したイングランド貴族爵位たるドンカスター伯爵 (Earl of Doncaster)ティンデイルのスコット男爵 (Baron Scott of Tindale) は、同人の処刑による私権剥奪で失われたが、1742年に彼の代に復活している[註釈 4]。なお、爵位は先代と同様の理由から孫のヘンリーが相続した[9]

その3代公爵ヘンリー (1746-1812) は親族から多くの爵位を継承することになる。又従弟にあたる「Old Q」こと第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラスが独身のまま死去したからである。これに伴い、3代公はクイーンズベリー公爵 (Duke of Queensberry) とその従属爵位を継承した[10]。(ただし、クイーンズベリー侯爵は切り離され、ダグラス家の縁戚が継承している[11]。)

なお、バクルー公爵家のように2つ以上の公爵位を併せ持つ英国貴族はごく少数であり、王族ではプリンス・オブ・ウェールズコーンウォール公爵及びロスシー公爵)、臣民ではハミルトン公爵家(兼ブランドン公爵)、アーガイル公爵家(兼アーガイル公爵)[註釈 5]リッチモンド公爵家(兼レノックス公爵及びゴードン公爵)の計4例のみである。

これ以降も、現在に至るまでバクルー公爵位とクイーンズベリー公爵位は3代公の男系子孫によって継承され続けている。また、家名は4代公爵チャールズの代にスコット姓(Scott)からモンタギュー=スコット姓(Montagu-Scott)、モンタギュー=ダグラス=スコット姓(Montagu-Douglas-Scott)と移り変わった[9]

その子の5代公爵ウォルター (1806-1884)保守党の政治家で、王璽尚書枢密院議長を歴任した[12]。なお、5代公の次男は1885年にビューリーのモンタギュー男爵英語版を授けられたため[9]、公爵家の分家が誕生している。

孫の7代公爵ジョン (1864-1935) の代には子女がイギリス王室に嫁いでいる。7代公の三女アリスグロスター公爵ヘンリー王子(国王ジョージ5世メアリー王妃の第三王子)と結婚し、この子孫は現在も続いている。

現在

公爵の法定推定相続人が用いる儀礼称号はダルキース伯爵であり、伯爵の長男(公爵の嫡孫)はエスクデイル卿の称号を用いる。

作家ウォルター・スコットは、バクルー卿の直系子孫にあたる。

現在の10代バクルー公リチャードは、イギリス国内で最大の土地を所有する地主であり、バクルー・グループ(資産管理の会社形態をとる)の総帥である。

Remove ads

邸宅

公爵家の本宅は、セルカーク英語版スコティッシュ・ボーダーズ)郊外にある、スコット家伝来のボウヒル・ハウスである。ダグラス家伝来のドラムランリグ城ダンフリーズ・アンド・ガロウェイ)、モンタギュー家伝来のカントリー・ハウス、ボウトン・ハウス(ノーサンプトンシャー)も所有する。これら3つの邸宅は今も公爵家の住まいとして使用されており、時に一般公開される。公爵家はダルキースミッドロージアン)のダルキース城も所有している。(過去には多くの州で邸宅や城を数軒所有していた。)

ロンドンでの邸宅として代々使用されるのは、モンタギュー・ハウス (ホワイトホール) であった。

Remove ads

公爵家の伝統行事

バクルー公爵家の伝統行事には『ロース・シルバー(Wroth Silver))』と呼ばれるものがある。これは毎年11月11日聖マルティヌスの日に公爵家の領地があるウォリックシャーのザ・ハンドレッド荘園にて行われる行事で、その内容は公爵邸の警備を免除する代わりに領民から数ペンスほどの銀貨を徴収するというものである[註釈 6][14]

この領民にとっては負担となる風習は現在まで続いている。なぜならば数ペンスを寄進するだけで、公爵家より参加者一同にラム酒や牛乳の大盤振舞が待ち受けているからだという[14]

現当主の保有爵位

現当主である第10代バクルー公爵リチャード・モンタギュー=ダグラス=スコットは、以下の爵位を有する[9]

  • 第10代バクルー公爵 (10th Duke of Buccleuch) :1663年4月20日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第12代クイーンズベリー公爵 (12th Duke of Queensberry) :1683年2月3日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第12代ダンフリーズシャー侯爵 (12th Marquess of Dumfriesshire) :1683年2月3日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第13代バクルー伯爵 (13th Earl of Buccleuch) :(1619年3月16日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第10代ドンカスター伯爵 (10th Earl of Doncaster) :1662年/63年2月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位
  • 第10代ダルキース伯爵 (10th Earl of Dalkeith) :1663年4月20日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第12代ドラムランリグ=サンクアー伯爵 (12th Earl of Drumlanrig and Sanquhar) :1682年2月11日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第12代ニス=トーソラルド=ロス子爵 (12th Viscount of Nith, Tortholwald and Ross) :1682年2月11日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第14代バクルーのスコット卿 (14th Lord Scott of Buccleuch) :1606年3月18日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第13代フィッチェスター及びエスクデイルのスコット卿 (13th Lord Scott of Whitchester and Eskdaill) :1619年3月16日の勅許状によるスコットランド貴族爵位
  • 第10代ティンデイルのスコット男爵 (10th Baron Scott of Tindale) :1662年/63年2月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位
  • 第12代キルマウント、ミドルビー及びドーノックのダグラス卿 (12th Lord Douglas of Kilmount, Middlebie and Dornock) :1682年2月11日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
Remove ads

一覧

バクルーのスコット卿 (1606年)

バクルー伯爵 (1619年)

バクルー公爵 (第1期; 1663年)

バクルー公爵 (第2期; 1663年)

Remove ads

バクルー公爵家紋章の変遷

Remove ads

脚注

関連図書

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads