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ビクトル・エリセ

映画監督・脚本家 ウィキペディアから

ビクトル・エリセ
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ビクトル・エリセ・アラス(Víctor Erice Aras, 1940年6月30日 - )は、スペインビスカヤ県出身の映画監督脚本家

概要 ビクトル・エリセ Víctor Erice, 本名 ...

短編映画を除けば、エリセは1969年の長編監督デビューから2023年までに4作品しか監督しておらず、とても寡作な監督として知られている。

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経歴

要約
視点

1940年、バスク地方ビスカヤ県カランサに生まれた。

幼少時に一家でギプスコア県サン・セバスティアンに引っ越し、そこで17年間暮らした。6歳の時に初めて観た映画は、ロイ・ウィリアム・ニール監督のアメリカ映画『緋色の爪英語版』である[1]。少年時代にはジョン・フォードハワード・ホークスマイケル・カーティスヴィクター・フレミングなどのアメリカ人俳優の映画を好んで観た[1]。中等教育を終えると首都マドリードに定住し、マドリード大学(現マドリード・コンプルテンセ大学)では政治学法学を専攻した。1960年にスペイン国立映画学校に入学して映画製作を学び、在学中にはクアデルノス・デ・アルテ・イ・ペンサミエント(芸術と思想)誌やヌエストロ・シネ(われらの映画)誌で映画評論を行っている。1963年に『失われた日々』で監督資格を得た。アンチョン・エセイサ英語版ミゲル・ピカソ英語版と共同で脚本を執筆。1969年にはオムニバス作品『挑戦』の最終章を担当し、監督としてデビューした。

1973年には長編第一作『ミツバチのささやき』を撮り、同年のサン・セバスティアン国際映画祭でグランプリに輝いた。この映画はスペイン内戦終結直後(1940年代)のスペインの農村部の精神状況を的確に表現しており[2]、批評家のトニー・ラインズは『みつばちのささやき』を「忘れられない気持ちの作品」と表現した。その後はコマーシャル映像を手掛け、なかなか第二作を撮らなかった。1983年にはアデライダ・ガルシア・モラレスの短編を原作とする、長編第二作『エル・スール』の脚本と監督を務めた。前作同様に少女の成長をテーマとしたが、プロデューサーのエリアス・ケレヘタは物語の後半部1/3をカットした。カンヌ国際映画祭で高評価されるも、最高賞に当たるパルム・ドール今村昌平監督の『楢山節考』が受賞した。

1992年の長編第三作『マルメロの陽光』は画家のアントニオ・ロペス・ガルシアについてのドキュメンタリーであり、カンヌ国際映画祭では審査員賞国際映画批評家連盟賞を受賞した。2002年には、数人の監督がそれぞれ10分の短編を監督したオムニバス映画『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』に参加。ジェフ・アンドリューはTime Out Film Guide誌で、『10ミニッツ・オールダー』におけるエリセの作品を「実に見事である」と称賛し、「もっと頻繁に作品を撮ってくれるといいんだが」と付け加えた。スペイン国内外でのエリセの作品の評価は、ほぼ全会一致で熱狂的である。2007年にはポンピドゥー・センター[3]アッバス・キアロスタミ監督との映像による往復書簡『ビクトル・エリセ/アッバス・キアロスタミ、書簡』展が開催された。2010年にはカンヌ国際映画祭の長編部門審査員を務め、初めて映画を審査する側に回った[1]2023年には『エル・スール』以来40年ぶりの長編劇映画『瞳をとじて』を発表した。

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監督作品

長編

オムニバス

脚注

外部リンク

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