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ビッグロンドン・ダービー
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日本ではビッグロンドン・ダービーとも呼ばれる、アーセナルFCとチェルシーFCの対戦は、イングランド(イギリス)の首都ロンドンをホームタウンとする両クラブによるビッグマッチである。ロンドン・ダービーの一つに数えられている。
ビッグロンドン・ダービーと呼称しているのは日本だけであり、現地ではあくまでロンドン・ダービーのひとつに過ぎず、両クラブにとってビッグロンドン・ダービーの対戦相手はクラブ最大のライバルではないが、1930年代以降、ロンドンにおける2大クラブの対戦は常に両クラブのサポーターを刺激し、多くの観客を集めている。アーセナルとチェルシーの間のライバル意識は、近年の重要な対戦で一層激しさを増している。
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概要
チェルシーは2000年代に第一級のクラブとなり、アーセナルとチェルシーの両クラブが絶えずリーグ優勝を争うようになった。2003年12月に実施されたインターネットでの調査によれば、アーセナルのサポーターはマンチェスター・ユナイテッドを、それに続いてトッテナムをクラブ最大のライバルとみなしており、3番目のライバルとしてチェルシーを挙げている[1]。この調査では、チェルシーのサポーターは最大のライバルをアーセナルだとみなしているが、より伝統的なライバルにはトッテナムやフラムが挙げられる[1]。一方で、2009年にフットボール・ファンズ・センサスが実施した調査では、アーセナルのサポーターが最も嫌う相手として、伝統的なライバルのトッテナムではなくチェルシーを挙げている。一方のチェルシーはリヴァプールを最も嫌う相手に挙げており、アーセナルがリヴァプールに続いている[2]。
現在の通算成績ではアーセナルがチェルシーを上回っている。2016-17シーズン終了時点でアーセナルが74勝、チェルシーが62勝、引き分けが54試合である[3]。アーセナルの最大得点差勝利は1930年11月29日にスタンフォード・ブリッジで行われたファーストディヴィジョンの試合で、5-1で4点差の勝利を収めた。チェルシーの最大得点差勝利は2014年3月22日にスタンフォード・ブリッジで行われたリーグ戦の第31節で、6-0で勝利を収めた。2004-2012、2014-2015シーズンにチェルシーに在籍していたディディエ・ドログバがダービー史上最多の13得点を挙げている。
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歴史
要約
視点
1907年11月9日、スタンフォード・ブリッジでリーグ戦初のダービーが行われた。このシーズンはフットボールリーグ・ファーストディヴィジョンの第1回大会であり、当時のリーグ記録となる約65,000人を集めた試合は引き分けに終わった。1935年に同じくスタンフォード・ブリッジで行われた試合では、イングランドにおけるリーグ戦の観客数として歴代2位の82,905人を動員。1950年代のFAカップでは準決勝での対戦が2度あったが、2度ともアーセナルの勝利に終わった。1960年代のダービーではチェルシーが支配し、14勝2分2敗と圧倒的な対戦成績を残した[4]。
2000年代にはカップ戦決勝で2度のビッグロンドン・ダービーが実現。2002年のFAカップ決勝ではアーセナルが2-0で勝利し、2007年のリーグカップ決勝ではチェルシーが2-1で勝利した。2003-04シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝で対戦し、スタンフォード・ブリッジでの1stレグは1-1の引き分けに終わったが、ハイベリーでの2ndレグはアウェーのチェルシーが2-1で勝利し、チェルシーが準決勝に勝ち上がった。2006年にはアーセナルのアシュリー・コールがチェルシーに移籍したが、移籍合意の何ヶ月も前にチェルシーの首脳陣と会合を持っていたことが両クラブのサポーターを焚きつけた[5]。2007年のリーグカップ決勝はダービー史上最高の試合の一つとして語り継がれている。試合終了間際に多数の選手が絡んだ乱闘騒ぎが起こり、アーセナルのコロ・トゥーレとエマニュエル・アデバヨール、チェルシーのジョン・ミケル・オビの計3人にレッドカードが提示された。試合後、ミケルには4試合の出場停止処分が、コロとアデバヨールには3試合の出場停止処分が下された。これらのことから、メディアは「スナーリングカップ決勝」(snarl:「混乱」や「紛糾」の意)であったと試合を揶揄した。2011年10月29日にスタンフォード・ブリッジで行われた試合も、手に汗握る素晴らしい試合となった。アーセナルはロビン・ファン・ペルシーがハットトリックを達成し、アンドレ・サントスとテオ・ウォルコットが1点ずつ決めた。チェルシーはフランク・ランパードとジョン・テリーとフアン・マヌエル・マタが1点ずつ決め、ランパードの得点はチェルシーのクラブ史上6000点目のゴールとなったが[6]、アーセナルが5-3で激しい撃ち合いを制した[7]。近年はチェルシーが優勢となっており、特にジョゼ・モウリーニョがチェルシーを率いてる間(2004-2007年、2013-2015年)にアーセナルが勝ったのは2015年のコミュニティ・シールドのみである[8]。2018-19シーズンにはUEFAヨーロッパリーグ決勝にてダービーが実現し、チェルシーがオリヴィエ・ジルー、ペドロ、アザールがゴールを挙げ、アーセナルはアレックス・イウォビの得点で反撃したが、4-1でチェルシーが勝利し、EL優勝を果たした。2019-20シーズンには3シーズン前と同じFAカップ決勝でビッグロンドンダービーとなった。試合は、プリシッチのゴールでチェルシーが早々に先制するもその後チェルシー側はPK献上、主将アスピリクエタ、プリシッチ、ペドロの相次ぐ負傷交代、コバチッチが二枚のイエローカードで退場などがありPKを含むオーバメヤンの2ゴールでアーセナルが逆転して優勝した[9]。
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双方のクラブに所属した選手・監督
要約
視点
選手
監督
その他に、スチュワート・ヒューストンは1967年から1972年にチェルシーに選手として在籍し、1995年と1996年にアーセナルの暫定監督を務めた。
タイトル
※2024-25シーズン終了時点
統計
※2022年10月22日時点[3]
脚注
外部リンク
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