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エデン・アザール

ベルギーのサッカー選手 ウィキペディアから

エデン・アザール
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エデン・ミハエル・アザールEden Michael Hazard1991年1月7日 - )は、ベルギーエノー州ラ・ルヴィエール出身の元サッカー選手。元ベルギー代表。現役時代のポジションはミッドフィールダーフォワード

概要 エデン・アザール, 名前 ...

2007年フランスリールにてプロデビュー。2011年2012年には、リーグ・アン年間最優秀選手賞を受賞している。その後チェルシーFCで7シーズンプレーし、PFA年間最優秀選手賞UEFAヨーロッパリーグ最優秀選手賞などを受賞した。

2008年からベルギー代表にも選ばれており、UEFA EURO 2016からはキャプテンを務めている。2019年には同国代表で100試合出場も果たし、ロメル・ルカクに次いで歴代2位となる33得点を記録している。2022 FIFAワールドカップを持ってベルギー代表を引退した。

2023年10月10日、現役引退を発表[5]

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クラブ経歴

要約
視点

幼少期

1991年1月7日にベルギーのラ・ルヴィエールで、ベルギー2部リーグなどでプレーしたティエリとベルギー女子1部でプレーしたカリーヌのもとに生まれた[6]。四人兄弟の長男で、2歳下の弟のトルガン・アザール、4歳下のキリアン・アザール、13歳下のエタン・アザールも後にサッカー選手となった。元プロサッカー選手の両親のもと(父親はDFで母親のカリーヌは優秀な選手でストライカーであったとされる[7])、家が練習場から3メートルの距離にあったという環境もあり、幼少期からサッカーを楽しんだ[8]

4歳でロイヤル・スタッド・ブレーヌというクラブに加入。12歳でAFCテュビズに移籍した後、2005年に14歳でベルギーを離れフランスリールの下部組織に移る。

LOSCリール

2007年11月25日のASナンシー戦でリーグ・アンデビューすると、2008年9月20日のAJオセール戦で初得点を記録した。2008-09シーズンはベルギー人として初めてリーグ・アンの最優秀若手選手賞を受賞した。

2009-10シーズンも続けて最優秀若手選手賞を受賞し、史上初の2度の受賞となった。当時レアル・マドリードの幹部を務めていたジネディーヌ・ジダンは「アザールは未来のクラック。優れた選手で、さらに良くなっていくはずだ。目をつむってでも、マドリーに連れていきたいね」と絶賛した[9]

2010-11シーズンは開幕当初は調子が上がらず2ヶ月間スタメンから外れ、ベルギー代表のジョルジュ・レーケンス監督から公然と批判された。しかし、最終的には自身最多となる8得点を記録。リールの2冠に貢献し、リーグMVPに選出された。

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リールでプレイするアザール(2011年)

2011-12シーズンからは背番号10番を背負い、リーグ戦38試合20得点18アシスト[10]で、リーグ3位の得点・リーグ首位のアシストを記録した。2年連続でリーグMVPに選出された。また、2011年にはヨーロッパでプレーする最優秀若手サッカー選手に贈られるブラヴォー賞にも選ばれた。

チェルシーFC

2012年6月4日、マンチェスター・ユナイテッドや、マンチェスター・シティトッテナム・ホットスパーといったプレミアリーグの様々なビッグクラブへの移籍が噂される中、アザールはSNSで「欧州チャンピオンズリーグ王者と契約する」と明かし、ユースの頃からスカウト陣が追い続けていたとされるチェルシーFCへの入団が決定した。移籍金は3200万ポンド (約39億円) で5年契約[11]。背番号は17番。

2012年8月19日に開幕戦となったウィガン・アスレティックFC戦でリーグデビューすると、当たりの激しいプレミアリーグにもすぐに適応する順応さをみせ、開幕から3試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選出された。チェルシーでの初タイトルとなるUEFAヨーロッパリーグ決勝は怪我のため出場できなかったが、2013年はプレミアリーグ一年目ながらPFA年間ベストイレブンに選出される活躍を見せた。

2013-14シーズンはクラブとしては2007-08シーズンぶりの無冠となったが、2014年は個人として2年連続となるPFA年間ベストイレブンと共にPFA年間最優秀若手選手賞も獲得した。 2014年2月8日ニューカッスル戦においてチェルシー移籍後初のハットトリックを達成した。

2014-15シーズンからはフアン・マタの移籍により背番号を10番に変更している。この年も開幕戦から中盤のレギュラーとして活躍をみせ、リーグ戦37試合に出場し14得点8アシストを記録。クラブの5年ぶりのリーグ優勝に貢献しバークレイズプレミアリーグ年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀選手賞FWA年間最優秀選手賞と3冠の個人賞を獲得しタイトルを総なめにした。

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チェルシーでのアザール(2015年)

2015-16シーズンは開幕から長らく得点から遠ざかっていたが、1月31日のMKドンズ戦で自身がファールを受けて得たPKを決め、初得点を記録した[12]。4月23日に行われたAFCボーンマス戦では、同シーズンのリーグ戦(プレミアリーグ)初得点を含む2得点を記録した[13]。5月2日に行われたトッテナム・ホットスパー戦では83分に2試合連続のゴールとなる同点ゴールを決める。試合は同点のまま終了しトッテナムの優勝を阻止する形となった[14]。2015-16シーズンは最終的に僅か4ゴールに止まり、プレミアリーグでも1995-96シーズン以来となる二桁順位に終わった。

2016年8月15日に行われた2016-17シーズンのリーグ開幕戦ウェストハム・ユナイテッドFC戦や8月27日のバーンリーFC戦でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、同月のプレミアリーグ月間最優秀選手ではTwitterでの調査で41%の票を集めたが[15]、同選手にはラヒーム・スターリングが選ばれた[16]。2017年2月3日、アーセナルFC戦ではカウンターから1人でゴールを決めて話題となった[17]。2016-17シーズンは16ゴールを決め、チェルシー在籍5年で4度目となるPFAベストイレブンに選出されたほか、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。

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UEFAヨーロッパリーグの優勝メダルを首にかけるアザール(2019年)

2018年9月16日、第5節のカーディフ・シティFC戦ではチェルシーにおいて2度目のハットトリックを決めて開幕5連勝に貢献した[18]。リーグ第15節では、それまで無敗だったマンチェスター・シティを相手に3トップの中央で偽9番としてプレーし、2-0での勝利に貢献。マウリツィオ・サッリから称賛を受けた[19]。第19節ワトフォード戦では2得点で勝利に貢献、なおこの試合の1点目でチェルシーでの通算100ゴールを達成したことになった。試合後、「この素晴らしいクラブでの100点目と101点目は、決して忘れない。でも、ファンも自分もスタッフも他の選手も、全員がこれ以上のものを求めている。このクラブのためにもっとゴールを決めたいし、ランパード氏やテリー氏、ドログバ氏のようなレジェンドになりたい」と語った[20]UEFAヨーロッパリーグでは決勝のアーセナル戦で2ゴール1アシストと4-1での勝利をもたらし[21]、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[22]。また、同大会の最優秀選手にも選出された[23]。シーズン終了時には、リーグ戦で16ゴール15アシストを挙げ、歴代最多4度目となるチェルシーのクラブ年間最優秀選手賞を受賞した[24]。16ゴールはチーム最多、15アシストはリーグ最多でプレミアリーグプレイメイカー賞にも輝いた[25]。また欧州5大リーグのドリブル突破回数においてソフィアン・ブファル(144回)、アラン・サン=マクシマン(143回)に次ぐ138回を記録し、ドリブル突破成功率は61.61%で欧州5大リーグトップだった[26]

アザールはチェルシーで7年間在籍し、公式戦通算352試合出場110ゴール92アシストという成績を残した[27]

レアル・マドリード

2019年6月7日、レアル・マドリードへの移籍が発表された[28][29]。契約期間は5年となり、移籍金は公表されていないがスペイン紙マルカからは1億ユーロと2000万ユーロのボーナスと報道された[30]デイリー・ミラーチーフ・サッカーライターのジョン・クロスはスカイスポーツにて、プレミアリーグにとって2009年のクリスティアーノ・ロナウド以来最大の損失と語った[31]

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ザルツブルクとのプレシーズンマッチで50番を着用するアザール(2019年)

ベルギー代表チェルシーでは、背番号10番を付けていたが、レアル・マドリードでは既にルカ・モドリッチが10番を着用しており、入団会見にて背番号が入っていないユニフォームを披露し「マテオ・コヴァチッチを介してモドリッチと話をした際、冗談めかして10番を譲ってもらえるかと頼んだが断られた」と話したことでアザールの背番号に注目が集まり、放出候補と言われたマリアーノ・ディアスの7番や同じくガレス・ベイルが着用している11番、あるいはアザールはバスケットボールのファンであるためマイケル・ジョーダンレブロン・ジェームズの番号である23番など様々な憶測が流れた[32][33]。7月20日にアメリカヒューストンNRGスタジアムで行われたインターナショナル・チャンピオンズ・カップバイエルン・ミュンヘン戦では、当日がアポロ11号月面着陸からちょうど50年目の記念日であったことに伴い背番号50を着用してプレーした[34]。8月9日、レアル・マドリードの公式サイトにおいて、7番を着用することが発表された[35]

開幕戦前日の8月16日、トレーニング中に左足大腿直筋を負傷し、約1ヶ月離脱した[36][37]。9月14日の第4節レバンテ戦で後半途中から出場しデビューを果たした[38]。10月5日、第8節のグラナダ戦で移籍後初ゴールを決めた[39]。11月27日、チャンピオンズリーグのパリ・サンジェルマン戦で負傷した。試合後のインタビューでジネディーヌ・ジダン監督は「ひどい捻挫」と語った[40]。その翌日、マドリーの医療チームは、右足首外側の打撲であり、10日間の休養にとどまるだろうと示唆した[41]。 しかし1週間後、医療チームによるさらなる検査の結果、右足首の外部不全断裂を負っていることが判明し、復帰の時期は未定となった[42]。 最終的に、約1ヶ月半の離脱をし、バルセロナとのエル・クラシコアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービージッダでのスーペルコパ・デ・エスパーニャ、準々決勝で敗れたコパ・デル・レイの全試合など16試合を欠場し、2月16日、セルタ・デ・ビーゴ戦で復帰した。エリア内でセルタのGKルベン・ブランコのファウルを受けてPKを獲得し、これをセルヒオ・ラモスが決めて2-1で勝利した。その6日後、レバンテ戦で、足首に右足腓骨の亀裂骨折を負い、後半にピッチから退いた[43]。 この負傷により、チャンピオンズリーグ・ベスト16第1戦のマンチェスター・シティ戦とリーグ戦2度目のエル・クラシコを欠場することになった。3月初旬、ダラスで足首の手術を受け、3カ月の離脱が見込まれ、シーズン中の復帰は絶望的と言われた[44]。しかし、新型コロナウイルスの流行による3ヶ月の中断を経て6月にリーグが再開すると復帰可能となり、6月14日、再開後初のリーグ戦、エイバル戦で出場し、セルヒオ・ラモスのゴールをアシストした[45]。しかしシーズン再開後もチームの戦力になりきれず、リーガ終了後にはフランス・アンフォのインタビューに対して「個人的には疑いなくキャリアで最悪のシーズン」と語った[46]。シーズン終了時にはリーグ戦16試合に出場した。

2020-21シーズンは、ベルギー代表に招集されていたこともあり、最初の9月20日と26日の2試合はベンチ外となり、9月30日には右足の筋肉を負傷した[47]。約1ヶ月離脱し、シーズン最初のエル・クラシコを含む5試合欠場した。10月28日のチャンピオンズリーグのボルシアMG戦でシーズン初出場を果たした。10月31日、ウエスカ戦でリーグ戦シーズン初出場で初ゴールを決めるも、その6日後に、新型コロナウイルスの陽性反応を受け離脱する[48]。11月19日に陰性反応を受けて復帰する。11月29日、アラベス戦で右足大腿直筋を負傷し、1ヶ月半離脱し、セビージャ戦とマドリード・ダービーを含む6試合を欠場し、12月23日のグラナダ戦で復帰する[49]。2021年1月23日、アラベス戦でリーグ戦2ゴール目とカリム・ベンゼマへのアシスト記録し、 「まるで最高潮の彼が戻って来たかのようだった」と称賛される[50]。7日後の1月30日、レバンテ戦で左足大腿直筋を負傷し、マドリー加入後10度目の負傷となる[51][52]。約1ヶ月半の離脱をし、3月13日のエルチェ戦で復帰するも、わずか15分間のプレーで右足腸腰筋を負傷し、ピッチを退いた[52][53]。シーズン2度目のマドリード・ダービーとチャンピオンズリーグのアタランタとの第2戦、リヴァプールとの準々決勝2試合を含む8試合欠場した。4月24日のベティス戦で復帰し、チャンピオンズリーグの古巣チェルシーとの準決勝第2戦では89分までプレーするも、0-2で敗れる。試合後、チェルシーの選手と笑顔で談笑する様子がテレビで流れると、「クラブやチームメートへの敬意を欠いている」「アザールはチェルシーのためにプレーした」などとファンから批判を浴び[54][55]アス紙は「最近のマドリーの傷口に振りかける塩の鍋のようなものだ」と報じた[56]。2023年1月3日、コパ・デル・レイカセレーニョ戦で出場したが、4部相手に苦戦し、活躍できず、自身の体型も批判された。[57]

その後もほとんど出場機会の得られない日々が続き、また出場しても目立った活躍を残すことはできず、2023年6月3日、レアル・マドリードとの契約解消に合意し、同月30日付で退団することが発表された[58]。レアル・マドリードでの通算成績は76試合7ゴール12アシストだった。

2023年10月10日、現役引退を表明した[59]

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代表経歴

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キャプテンマークを巻いてプレーするアザール(2018年)

UEFA U-17選手権2007では大会ベスト4となり同国開催のワールドカップの出場権を獲得。本大会ではグループリーグ敗退の成績で大会を終えた。

2008年11月19日のルクセンブルクとの親善試合でヴェスレイ・ソンクと交代で出場し、ベルギー代表として初出場。

2011年10月7日のUEFA EURO 2012予選カザフスタン戦で代表初得点を挙げた。

UEFA EURO 2016グループステージ第3戦のスウェーデン戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[60]。決勝トーナメント1回戦のハンガリー戦でも1ゴール1アシストを記録しマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[61]

弟のトルガン・アザールと2016年11月9日のオランダとの親善試合に共に出場し、キャリア初の共演を果たした[62]

2018 FIFAワールドカップではグループリーグチュニジア戦で2ゴール、3位決定戦のイングランド戦でもダメ押しのゴールを決め、ベルギーのワールドカップ3位に貢献。同大会最多タイとなる3試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、大会のシルバーボールにも選ばれた。

UEFA EURO2020予選キプロス戦で代表100試合出場を達成、アザールはその試合で先制点を奪った[63]

2022 FIFAワールドカップでは引き続きキャプテンとして出場したが、ベルギー代表はグループステージで敗退した。12月7日に代表からの引退を発表した[64]

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評価・プレースタイル

緩急のついたドリブルで相手を翻弄する世界屈指のドリブラー。

同じラ・ルヴィエール出身でありアザールがAFCテュビズユースに所属している時にトップチームの監督も務めていたエンツォ・シーフォとはデビュー当初から比較された[65]

ジョゼ・モウリーニョはアザールについて「イングランドの中でも最高の選手だ。」[66]「世界最高の選手になれる」[67] と語っており、クリスティアーノ・ロナウドリオネル・メッシとともにトップ3の一角を占める選手だと評価している[68]ジネディーヌ・ジダンは「彼がフィールドで披露する全てのことが好きだ。彼の振る舞い、試合を決める力、そして毎年のように成長していく様を見ているのが本当に好き」と語っている[69]

フランク・ランパードジャンフランコ・ゾラを思い起こさせる存在であると語り[70]、「彼はチェルシーに魔法をかけるんだ。もしエデン・アザールが試合に入り込めば、まるで(リオネル・)メッシや(クリスティアーノ・)ロナウドかのようにプレイする。彼は確実にそのレベルにいるよ」と述べている[71]

人物・エピソード

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個人成績

クラブ

2022年10月25日現在
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代表数

  • 国際Aマッチ 126試合 33得点(2008年-2022年)[78]
さらに見る ベルギー代表, 国際Aマッチ ...

得点

さらに見る #, 開催年月日 ...
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タイトル

クラブ

リール
チェルシーFC
レアル・マドリード

代表

個人

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脚注

関連項目

外部リンク

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