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ファビオ・クアルタラロ

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ファビオ・クアルタラロ
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ファビオ・クアルタラロ[1] (Fabio Quartararo, 1999年4月20日 - ) は、フランスニース出身のオートバイレーサー。2021年ロードレース世界選手権MotoGPクラスチャンピオン。2021年よりモンスター・エナジー・ヤマハMotoGPからMotoGPに参戦している。

概要 ファビオ・クアルタラロ, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

初期

クアルタラロ家のルーツはイタリアシチリア島にある[2]。ファビオはフランスのニースで生まれ、4歳でレース経歴をスタートした。2007年より2輪レースの盛んなスペインカタルーニャに移り、Real Automovil Club de Cataluna (RACC) [3]が主催する若いライダーのためのシリーズであるPromovelocidad Cupに出場した。2008年に50ccクラス、2009年に70ccクラス、そして2011年に80ccクラスのタイトルを獲得する。2012年には地中海プレMoto3クラスのタイトルを獲得する。

CEVレプソル選手権

2013年にFIM CEVレプソルシリーズ(スペイン選手権)のMoto3クラスにステップアップした。元グランプリレーサーのフアン・ボルハ[4]が運営するワイルド・ウルフ・レーシングに加わり、ホンダのマシンに乗る。クアルタラロはウェットコンディションのシリーズ初戦[4]ウェイン・ライアンに次ぐ2位となり、デビュー戦を表彰台で飾った。第2戦は6位に入り、ブライアン・スハウテンと同ポイントでタイトル争いをリードした。続く4戦でクアルタラロはトップ10でフィニッシュしたのは1度のみで、ランキングはマルコス・ラミレスから37ポイント差の8位まで後退した[4]。しかしながら、終盤3戦でポールトゥフィニッシュを果たし、最終戦のヘレスではほぼ10秒の差を付けてラミレスを破った。その結果、クアルタラロは2007年のステファン・ブラドル以来となる非スペイン人ライダーとしてタイトルを獲得し[5]、14歳218日という最年少のシリーズチャンピオンとなり、アレイシ・エスパルガロの記録を更新した[5]

クアルタラロは世界選手権に出場できる年齢に達していなかったため、2014年もFIM CEVレプソルシリーズに参戦した[4]。2008年に発表され2010年に導入されたこの規則では、グランプリに出場するライダーは16歳に達していなければならないとする[6]。クアルタラロのマシンはホンダで変わらなかったが、チームは1999年の125cc世界チャンピオンエミリオ・アルサモラが運営するエストレラ・ガリシア 0,0 ジュニアチームに移籍となった[7]。クアルタラロはシーズン11戦の内9戦で勝利し、残り2戦は2位となり、タイトルを獲得した[8]。最終戦でチームメイトとして加わったホルヘ・ナバロに127ポイント差を付けてのチャンピオンであった[5]。この最終戦でクアルタラロはポイント参戦したサクソプリント-RTGチームのアレクシ・マスブージョン・マクフィーを打ち破った[5]

世界選手権

スペイン選手権でクアルタラロが見せたパフォーマンスは、世界選手権レベルで注目された。2014年フランスGPでのサポートレースでは、2番グリッドからスタートしたクアルタラロがレースの大半をリードし、9周にわたってほぼ4秒差を付けて勝利した[9]。2014年8月、ドルナスポーツ国際モーターサイクリズム連盟 (FIM)、国際ロードレーシングチーム協会 (IRTA)、モーターサイクルスポーツ製造者協会 (MSMA) の代表からなるグランプリコミッションは、以前に導入された年齢資格規則を改正し、FIM CEV Moto3選手権のチャンピオンは年齢に関係なく翌年のMoto3世界選手権に出場することを可能とした[10]

2014年10月、クアルタラロは翌年のMoto3世界選手権に参戦することが発表され、最初のエントリーリストが発表された[11]。所属チームはエストレラ・ガリシア 0,0で変わらず、再びホンダに乗って2014年シーズンのスペイン国内タイトルを獲得した。そして、最も近いライバルであったホルヘ・ナバロとチームメイトになった[11]。シーズン後、バレンシアで初めてチームのMoto3マシンをテストしたが、トランスポンダー無しで走行したため最初のラップタイムは記録されなかった。2015年のバレンシアでの公式シーズン前テストの初日に、クアルタラロは3回目のセッションで最速タイムを記録した[12]。翌日から3日間、ヘレスで行われたテストでは、9セッション中5セッションで最速タイムをたたき出し、その中には最終日のクリーンスイープも含まれた[13]

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Moto3

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2015年

2015年

世界選手権デビューとなったカタールでクアルタラロは予選6位、2列目スタートとなった。ポールポジションを獲得した同郷のアレクシ・マスブーから0.123秒差であった[14]。決勝では常にトップグループを争い、2周でレースのリードを握った。しかしフランチェスコ・バニャイアとの接触で両名とも後退、クアルタラロは結局7位でレースを終えた。クアルタラロが勝者のマスブーに比べてわずか0.772秒遅れていたのはそのようなレースの本質であった[15]。続くアメリカズGPで、クアルタラロはダニー・ケントに次ぐ2位フィニッシュで、初の表彰台を達成した[16]スペインGPではケントに0.2秒差で初のポールポジションを達成したが、決勝は4位に終わった[17]。ホームグランプリのル・マンでもチームメイトのナバロから10分の1秒差で再びポールポジションを獲得した[18]。決勝ではしばらくリードを保ったが、最終的には4位走行中にハイサイドを起こしリタイアに終わった[19]

クアルタラロは第8戦のアッセンで2位に入り、再び表彰台を獲得した[20]。レースの大半を先頭グループで走行し、優勝したミゲル・オリベイラからは0.066秒差であった。続く4戦を交互にリタイアと完走で終わり、第13戦のサンマリノを迎えた。ここでクアルタラロは2回目のフリープラクティスセッション中にクラッシュし、右足首を骨折した[21]。そのため決勝には出場できなかった。続くアラゴンも欠場となり、代役として同チームからCEV Moto3に参戦している山田誓己が出場した[22]日本GPには復帰したが、負傷の痛みが続き、予選29位となったため決勝には参加しなかった[23]オーストラリアでも予選19位となった後、決勝には出場しなかった[24]。クアルタラロは最終的に92ポイント、ランキング10位でシーズンを終えた。

2016年

2015年9月26日、クアルタラロはエストレラ・ガリシア 0,0を離れ2016年から2年間の契約でレオパード・レーシングに加入することが発表された[25]。クアルタラロはルーキーイヤーで見せたパフォーマンスと、レオパード・レーシングが前年度ダニー・ケントとタイトルを獲得したことで、チャンピオン候補の最有力とみなされた。しかしながらシーズンは悲惨な物となった。開幕から3戦連続で13位となり、スペインではクラッシュによるリタイアを喫する。ホームグランプリのル・マンでは6位に入った。6戦でノーポイントとなり、最高位はオーストリアでの4位であった。

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Moto2

2017年

2017年、クアルタラロはエドガー・ポンスのチームメイトとしてMoto2にステップアップ、ポンス・レーシングに加入した。デビュー戦のカタールは7位となった。この年の最高位はサンマリノでの6位であり、彼は64ポイント、ランキング13位でシーズンを終えた。

2018年

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2018年日本GP Moto2決勝で2番手を走行するクアルタラロ(#20)。

2018年はスピードアップ・レーシングに移籍する。カタルーニャでグランプリ初勝利を達成し、「グランチェレム」(ポールポジション、最速ラップ、優勝)も達成した。続くアッセンでは2位に入ったが、その後は苦戦。日本ではフランチェスコ・バニャイアとのマッチレースを制してトップチェッカーを受けたが、レース後の車検でリアタイヤの内圧が規定違反と判定され失格処分となった[26]。最終的に138ポイントで、ランキング10位となった。

2018年8月、クアルタラロは2019年に新設されるヤマハのサテライトチーム、ペトロナス・ヤマハSRTに加入し、MotoGPクラスへ昇格することが発表された[27]。ただし、チームメイトになるフランコ・モルビデリ(2017年Moto2王者)、一緒にMotoGPに昇格するバニャイア(2018年Moto2王者)やジョアン・ミル(2017年Moto3王者)らの成績と比べると、クアルタラロが最高峰クラスに見合うポテンシャルの持ち主なのかはまだ未知数だった。

MotoGP

要約
視点

2019年

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マルク・マルケスと争うクアルタラロ(2019年バレンシアGP)

2019年シーズン、クアルタラロは開幕戦カタールGPでルーキー最上位の予選5番グリッドを獲得。決勝はエンジンストールでピットレーンスタートとなったが、MotoGPデビュー戦でファステストラップを記録した[28]。第4戦のスペインGPではポールポジションを獲得。20歳14日での初ポールポジションは、マルク・マルケスが2013年アメリカズGPで記録したMotoGPクラスの最年少ポールポジション記録(20歳63日)を更新することとなった[29]。決勝は2位走行中マシントラブルのためリタイアした。

第6戦イタリアGP後に右腕の腕上がり(コンパートメント症候群)の手術を受けたが[30]、第7戦カタルーニャGPで2回目のポールポジションを獲得し、2位で初表彰台に立つ。続くアッセンでも獲得し、連続ポールポジションを獲得した最年少ライダーとなった[31]。第13戦サンマリノGPでは最終周回までトップを走行したが、マルケスに抜かれて初優勝を逃した[32]。第15戦タイGPも同じ展開となり、最終周回でマルケスに抜かれた。デビューシーズンの初優勝は届かなかったが、ポールポジション6回・表彰台7回(2位5回、3位2回)を記録。年間ランキング5位でルーキー・オブ・ザ・イヤーとベスト・インディペンデントチーム・ライダーに選ばれた。

2020年

2020年はペトロナス・ヤマハSRTに残留し、最新のワークススペックのYZR-M1の供給を受ける。シーズン開幕前には、2021年よりバレンティーノ・ロッシに替わってヤマハ・ファクトリー・レーシングに加入することが決まった[33]

MotoGPクラスの開幕戦[34]となった第2戦スペインGPで、ポール・トゥ・ウィンで初優勝を達成。

2021年

モンスター・エナジー・ヤマハMotoGPから参戦し、第2戦ドーハGP、第3戦ポルトガルGP、第6戦イタリアGP、第9戦オランダGP、第12戦イギリスGPでシーズン5勝を挙げ、ランキング2位のフランチェスコ・バニャイアとは52ポイント差で残り3戦となる第16戦エミリア・ロマーニャGPを迎えるが、トップを走っていたバニャイアの転倒によりシーズンチャンピオンが決定する(クアルタラロは4位フィニッシュ)。フランス人ライダーの最高峰クラスでのチャンピオンは初。

2022年

引き続きモンスター・エナジー・ヤマハMotoGPから参戦。第2戦インドネシアGPではポールポジションとファステストラップを獲得したが、優勝には届かなかった。3勝挙げるが、バニャイアの快進撃に追いつけずシーズンランキング2位で終えた。

2023年

引き続きモンスター・エナジー・ヤマハMotoGPから参戦。このシーズンでは、第3戦アメリカGP、第13戦インドGP、第15戦インドネシアGPの3位が最高位であり、シーズンランキング10位で終えた。また、モルビデリが移籍するのに伴い、来季からはアレックス・リンスとチームメイトになることが決定した。

2024年

4月5日、2026年までチームに残留することの契約更新を行った。

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人物

  • スペイン国内では2013年、14年の連覇を含む国内タイトルを6つ獲得し、多くの最年少記録を塗り替え[35]、世界チャンピオンのマルク・マルケスと比較された[36][37]。15歳で世界選手権にデビューし、Moto3Moto2での低迷期を経て、MotoGP昇格後は最年少ポールポジション獲得など才能を開花させている。2020年第2戦スペインGPにて、21歳と90日で初優勝を遂げた。

主なレース戦績

要約
視点

世界選手権前

  • 2007年: 2位, Spanish 50cc championship
  • 2008年: 1位, Spanish 50cc championship
  • 2009年: 1位, Spanish 70cc championship
  • 2010年: 3位, Spanish 80cc championship
  • 2011年: 1位, Spanish 80cc championship
  • 2012年: 1位, Spanish Pre-Moto3 championship
  • 2013年: 1位, Spanish Moto3 championship
  • 2014年: 1位, Spanish Moto3 championship

世界選手権

シーズン別

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* 現在進行中

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参照

外部リンク

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