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ファビオ・ライマー
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ファビオ・ライマー(Fabio Leimer, 1987年4月17日 - )は、スイス出身のレーシングドライバーである。
経歴
要約
視点
カート
スイスのロートリスト生まれで、2000年に初めてカートレースに出場しレーサーとしてキャリアをスタートさせる。2003年にはスイスのジュニア選手権でタイトルを獲得、翌年には連覇も達成している。
2006年のヨーロッパ選手権に出場した後、フォーミュラ・BMWへステップアップする。
フォーミュラ・BMW
2006年、ライマーはフォーミュラ・BMW ADACシリーズに参戦。フォーミュラカーレースデビューを果たした。チーム・ロズベルグとマトソン・モータースポーツから出走し4ポイントを獲得。総合19位でシーズンを終える。
フォーミュラ・ルノー
2007年は、フォーミュラ・ルノーへ活動の場を移す。ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0とイタリア・フォーミュラ・ルノー2.0にそれぞれ参戦し、どちらともジェンザー・モータースポーツから出走した。
ユーロカップでは総合17位となり、第4戦ドニントン・パークの第1レースにおいてファステストラップを記録した。
イタリア選手権の方では、表彰台に2度立つ活躍を見せ(2位1回、3位1回)シーズンを通して161ポイントを獲得。総合11位で終える。
インターナショナル・フォーミュラ・マスター
2008年は、インターナショナル・フォーミュラ・マスターシリーズに参戦。前年と同様にジェンザー・モータースポーツから出走した。
この年は初参戦ながらも好調なシーズンで、第3戦エストリル、第7戦イモラ、最終戦モンツァの第1レースにおいて優勝する活躍を見せる。この年のタイトルを獲得したクリス・ヴァン・デル・ドリフトに次ぐ総合2位でシーズンを終え、その実力を遺憾なく発揮させた。
フォーミュラ・マスター・イタリア選手権にも同時参戦し、総合4位となる好成績を収めた。
同年10月には、サム・シュミット・モータースポーツからインディ・ライツの3日間に亘る合同テストに参加した。
翌年もチームに残留しチームメイトのポール・ヴァーホーグと共にシーズンを戦いレースで7度優勝を果たし、2年目にして年間タイトルを獲得した。チームも前年の3位から2位に順位を上げる。
GP2シリーズ
第2レースでGP2初優勝を飾った。

2013年はGP2のタイトルを獲得した。
2008年にインターナショナル・フォーミュラ・マスターを準優勝で終えた後、同年11月にGP2に参戦しているトライデント・レーシングからテストに参加しGP2のシャシーで初走行を行った。
2009年10月、ヘレス・サーキットにてティアゴ・モンテイロが率いるオーシャン・レーシング・テクノロジーよりテスト走行をした後、GP2アジアシリーズ2009-2010シーズンのドライバーとして参戦する事が決まった。シーズン終了後は続けて同チームからGP2本戦にも出場し、アジアシリーズの第2戦でチームメイトだったマックス・チルトンと共に参戦した。開幕戦バルセロナの第2レースではファステストラップを記録、トップでフィニッシュしGP2での初優勝を決めた。しかしその後は目立った活躍がなく、総合19位で最初のシーズンを終える。
2011年、ライマーはラパックス・チームへ移籍する。GP2アジアシリーズでは総合5位で終え、本戦では優勝1回を含む総合14位で終える。10月にヤス・マリーナ・サーキットで開催されたノン・チャンピオンシップレースにおいてレーシング・エンジニアリングへ移籍し、優勝している。
2012年は、6回の表彰台を獲得するも優勝を飾る事が出来ないレースが続いた。総合順位は昨年を上回る7位となる。
2013年シーズン、前半戦では第1戦セパンの第1レース、第2戦バーレーンの第1レースともに優勝を飾るものの中々入賞圏内でフィニッシュする事が出来ないレースが続いていた。しかし中盤以降は安定した速さを見せるようになりコンスタントにポイントを重ね、2位のサム・バードに20ポイント差を付けてGP2初タイトルを獲得した[1]。
WEC
2014年、プレシーズンの合同テストに参加しレベリオン・レーシングから初走行を行った。その後正式にチームへ加入し本戦に挑んだ[2]。
スーパーフォーミュラ
当初、Team 無限より2015年のレースドライバーとして契約していた[3]。しかし、3月7日にライマー側より「契約条項を履行できない」との連絡があり、協議の結果参戦取り止めとなる事が発表された[4]。
F1
2015年6月3日、マノー・マルシャF1チームは今年度のリザーブドライバーとして契約した事を発表した[5]。
フォーミュラE
ヴァージン・レーシングで参戦中のハイメ・アルグエルスアリが第9戦モスクワ大会終了時に、脱水症状および極度の疲労により気絶するという事態が発生した。FIAは健康状態が回復し今後も出走可能か判断するまでの間、ライセンスを一時的に停止する事を決めた。その為、2015年6月23日、チームは代役としてライマーの起用を発表[6]。第10戦および最終戦の舞台となるロンドン大会に出走した。
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レース戦績
略歴
インターナショナル・フォーミュラ・マスター
GP2シリーズ
GP2アジアシリーズ
F1
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
フォーミュラE
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出典
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