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フリオ・セサル・バルディビエソ
ボリビアのサッカー選手 ウィキペディアから
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フリオ・セサル・バルディビエソ・リコ(Julio César Baldivieso Rico, 1971年12月2日 - )はボリビア出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
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経歴
1994年のFIFAワールドカップアメリカ大会出場に司令塔として貢献、ボリビアのワールドカップ出場は44年ぶりだった。本大会でも2試合に出場した。
1997年には1994年のボリビア代表を率いたハビエル・アスカルゴルタが監督に就任した横浜マリノスに移籍。5月24日のアビスパ福岡戦でJリーグ初ゴールを決め[1]、同年8月のガンバ大阪戦では前半28分にハットトリックを達成し[2](後に難波宏明が更新するまでの約18年間、Jリーグ最速ハットトリックの記録を保持していた。)また、中村俊輔のプロ初ハットトリックのうち2点をアシストした選手とした。1998年のリーグ戦では32試合で10ゴールを挙げただけでなくドラガン・ストイコビッチと並んでリーグ最多となる、19アシストを決めるなど[3]、チームの中心選手として活躍した。
2009年7月19日、当時自身が監督を務めていたクルブ・アウロラにて息子であるマウリシオ・バルディビエソを1部リーグデビューさせた。当時マウリシオは12歳であり南米における最年少出場記録となった。しかし、12歳の息子をプロデビューさせたことでボリビア国内で大議論と発展した。クラブ首脳陣は、バルディビエソにマウリシオをトップチームから外すようにと求めたがそれを断り、クラブと対立し辞任した。それまでには、2001年にペルー人のフェルナンド・ガルシアが13歳で1部リーグの試合に出場したことがあった。
2015年8月28日にはサッカーボリビア代表監督に就任した[4][5]。
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所属クラブ
- 1987-1991
クラブ・ホルヘ・ウィルステルマン
- 1992-1994
クラブ・ボリバル
- 1994-1997
ニューウェルズ・オールドボーイズ
- 1997-1998
横浜マリノス
- 1999-2000
バルセロナ・グアヤキル
- 2001
CDコブレロア
- 2001-2002
アル・ナスル
- 2002
クルブ・アウロラ
- 2002-2003
アル・ナスル
- 2003
クルブ・アウロラ
- 2003-2004
アル・ワクラSC
- 2004
カラカスFC
- 2005
デポルティーボ・ケベド
- 2006
ザ・ストロンゲスト
- 2007-2008
クルブ・アウロラ
個人成績
代表歴
出場大会
- 1994年 FIFAワールドカップ アメリカ大会出場(グループリーグ敗退)
試合数
- 国際Aマッチ 86試合 15得点(1991年-2005年)[6]
指導歴
- 2008-2009
クルブ・アウロラ
- 2011
クルブ・アウロラ
- 2012
クラブ・レアル・ポトシ
- 2012
クルブ・アウロラ
- 2013
ナシオナル・ポトシ
- 2013-2014
CDサン・ホセ
- 2014
クラブ・ホルヘ・ウィルステルマン
- 2015
ウニベルシタリオ・デ・スクレ
- 2015-2016
サッカーボリビア代表
- 2017
カラボボFC
- 2017-2018
サッカーパレスチナ代表
- 2019
クラブ・オールウェイズ・レディ
- 2020-
クルブ・アウロラ
脚注
関連項目
外部リンク
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