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サッカーボリビア代表

ボリビアの男子サッカーナショナルチーム ウィキペディアから

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サッカーボリビア代表(サッカーボリビアだいひょう、スペイン語: Selección de fútbol de Bolivia)は、ボリビアサッカー連盟(FBF)によって構成されるボリビアサッカーナショナルチームである。

概要 サッカーボリビア代表, 国または地域 ...

ホームスタジアムは首都ラパスにあるエスタディオ・オリンピコ・エルナンド・シレス。また、このスタジアムの標高が『約3,600m』とあまりに高いために、過去に問題となった事もある(後述)。日本代表1999年コパ・アメリカを含め通算3度対戦しており、2勝1分となっている(2025年6月時点)。

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歴史

ボリビア代表はFIFAワールドカップには3回出場しているが、CONMEBOL所属のチームでは本大会出場の無いベネズエラと共に本大会での勝利が無い。第1回の1930年大会は全出場チームが招待参加している。1950年大会は現在のような長期にわたる南米予選が存在しておらず、ホスト国ブラジルが予選免除だったことに加えアルゼンチンが不参加だったことにより予選グループ分け時点で出場を決めた(いずれも1次リーグで敗退している)。コパ・アメリカでは、1963年大会で優勝を果たしている。

1994年アメリカ大会南米予選では、首都ラパスでのホームゲームで標高3600mの高地にあるという地の利を最大限に生かしてウルグアイを破り、これまで南米予選でいかなる国にも負け知らずだったブラジルに初めて土をつけ4戦全勝した。一方で、アウェーも1勝1分2敗で乗り切り通算成績を5勝1分2敗として44年ぶり3回目の出場を決めた。しかし、大会開幕戦となった初戦のドイツ戦を0-1で落とし、韓国には0-0のスコアレスドロー、グループリーグ突破に最後の望みを賭けたスペイン戦では1-3の完敗を喫して全3試合を1分2敗の成績でグループリーグで敗退した。

その後、1998年フランス大会南米予選から予選形式が従来のグループ戦から10カ国による総当り戦へと変更された。これは、ボリビアにとって「ホームゲームの増加」というメリットよりも「強豪との対戦数が大幅に増えたことによる勝率の著しい低下」というデメリットをより際立たせる変更であった。更に他の南米諸国も「ラパス対策」としてそれなりに高地での試合経験を積んで臨むようになってきたため、以前のようにホームでの驚異的な強さを発揮できなくなった。1998年大会以降は南米予選でも下位に沈み続け、2022年カタール大会予選まで7大会連続でプレーオフにも進出できなかった。1997年のコパ・アメリカで準優勝したが、それ以降2024年大会までの10大会中9大会でグループリーグ敗退と、南米最弱クラスまで転落した[2][3]

2026年北中米W杯は出場枠が増加したことや、ホームで5勝2分2敗と強さを取り戻したことで、南米予選7位ながら大陸間プレーオフに進出した[4][5]。この予選ではブラジルやコロンビアに勝利している[6][7]

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高地国際試合禁止問題

国際サッカー連盟(FIFA)は2007年5月に、健康上の問題を理由として「標高2500m」を超える高地での国際試合禁止を決定した。これによりラパスでのホームゲームが出来なくなったボリビア代表は、ボリビアのモラレス大統領(当時)が同年6月1日にボリビアにある標高5395mのチャカルタヤ山の山頂付近でサッカーをプレーし、6月12日にはボリビア最高峰のサハマ山(標高6542m)の山頂付近でプレーするなど体を張って抗議した[8]

これを受けて、FIFAは限界を3000mに緩和した。それでもなお、FIFAが定めた限界より高い3600mのラパスに関しては南米各国が認めれば試合開催可能とした。同年7月14日に南米サッカー連盟が全会一致で承認し、これまで通りラパスでの試合開催が可能になった[9]

なお、2026 FIFAワールドカップ・南米予選におけるボリビアのホームゲームは、第5節のペルー戦まではエスタディオ・オリンピコ・エルナンド・シレスを使用するが、第7節のベネズエラ戦以降はラパスよりも標高が高いエル・アルト(標高4150m)にあるエスタディオ・ムニシパル・デ・エル・アルト英語版を使用する[10]

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成績

FIFAワールドカップ

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FIFAコンフェデレーションズカップ

  • 1999 - グループリーグ敗退

コパ・アメリカ

  • 1916 - 不参加
  • 1917 - 不参加
  • 1919 - 不参加
  • 1920 - 不参加
  • 1921 - 不参加
  • 1922 - 不参加
  • 1923 - 不参加
  • 1924 - 不参加
  • 1925 - 不参加
  • 1926 - 6位
  • 1927 - 4位
  • 1929 - 棄権
  • 1935 - 棄権
  • 1937 - 棄権
  • 1939 - 棄権
  • 1941 - 棄権
  • 1942 - 棄権
  • 1945 - 6位
  • 1946 - 6位
  • 1947 - 7位
  • 1949 - 4位
  • 1953 - 6位
  • 1955 - 棄権
  • 1956 - 棄権
  • 1957 - 棄権
  • 1959 - 7位
  • 1959 - 棄権
  • 1963 - 優勝
  • 1967 - 6位
  • 1975 - グループリーグ敗退
  • 1979 - グループリーグ敗退
  • 1983 - グループリーグ敗退
  • 1987 - グループリーグ敗退
  • 1989 - グループリーグ敗退
  • 1991 - グループリーグ敗退
  • 1993 - グループリーグ敗退
  • 1995 - ベスト8
  • 1997 - 準優勝
  • 1999 - グループリーグ敗退
  • 2001 - グループリーグ敗退
  • 2004 - グループリーグ敗退
  • 2007 - グループリーグ敗退
  • 2011 - グループリーグ敗退
  • 2015 - ベスト8
  • 2016 - グループリーグ敗退
  • 2019 - グループリーグ敗退
  • 2021 - グループリーグ敗退
  • 2024 - グループリーグ敗退

歴代監督

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歴代選手

W杯の大会メンバー

主な代表選手

GK

DF

MF

FW

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歴代記録

2022年2月1日現在[11]

出場数ランキング

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ロナルド・ラルデス
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得点数ランキング

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マルセロ・モレノ
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国別の対戦成績

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脚注

関連項目

外部リンク

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