トップQs
タイムライン
チャット
視点

フレッド・クハウルア

アメリカ合衆国の野球選手 (1953-2021) ウィキペディアから

Remove ads

フレッド・マヘレ・クハウルアFred Mahele Kuhaulua1953年2月23日 - 2021年9月20日)は、アメリカ合衆国ハワイ州出身の元プロ野球選手投手)。日本での登録名はフレッド

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

来歴・人物

1977年カリフォルニア・エンゼルスに昇格、3試合の登板にとどまったが3Aでは9勝5敗の成績をマークした。1978年中日ドラゴンズに入団した。当時現役だった大相撲力士・高見山の従兄弟[1]ということで話題になった。

開幕直後に来日し二軍で初登板して白星を挙げたが、投球内容では首脳陣の期待に応えられず、一軍初登板は4月30日まで無かった[1]。威圧感に欠けるフォームで、スピード不足で二軍の投手コーチを務めていた権藤博からは「球威がない」と前途多難を匂わせていたが、一軍昇格後に一軍投手コーチだった稲尾和久の指導を受け、手先だけで投げていたフォームから体全体を活かしたフォームに改造。すると、投球内容が若干向上し、9月22日の対巨人戦で完投勝利をあげるなど、先発ローテーションに入って3勝を挙げた。しかし、翌年に向けて新外国人打者(ギャレット弟ジョーンズ)を補強する方針のため、この年限りで解雇され退団した。

翌1979年から2年間サンディエゴ・パドレス傘下の3Aで過ごした後、1981年9月に昇格し、主に先発[2]として大リーグ復帰を果たした。10月1日のドジャース戦では8イニングを無失点に抑えてメジャー初勝利をあげた。この試合がメジャーでの最後の登板となり、翌年は再び3Aに戻り、この年限りで引退した。

球種・ストレート、スライダー、カーブ、シュート、決め球はフォーク。

温厚な性格で真面目で練習熱心な選手だった。

Remove ads

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

NPB
  • 初登板:1978年4月30日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、8回裏に佐野仙好から
  • 初先発:1978年5月21日、対読売ジャイアンツ10回戦(後楽園球場)、5回4失点(自責点1)で敗戦投手
  • 初勝利・初先発勝利:1978年6月18日、対阪神タイガース13回戦(ナゴヤ球場)、6回1失点
  • 初完投勝利:1978年9月22日、対読売ジャイアンツ24回戦(ナゴヤ球場)、9回1失点
  • 初安打:1978年6月28日、対読売ジャイアンツ13回戦(後楽園球場)、3回表に小林繁から

背番号

  • 31 (1977年)
  • 42 (1978年)
  • 51 (1981年 - 同年途中)
  • 41 (1978年途中 - 同年終了)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads