トップQs
タイムライン
チャット
視点
ウェイン・ギャレット
ウィキペディアから
Remove ads
ロナルド・ウェイン・ギャレット(Ronald Wayne Garrett , 1947年12月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手(内野手)。
広島東洋カープでプレーしたエイドリアン・ギャレットは実兄。
Remove ads
来歴・人物
1965年のMLBドラフト6巡目(全体の104番目)でミルウォーキー・ブレーブスに指名され契約。1969年にニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。同年は打撃は低調ながら124試合に出場し、チームのワールドシリーズ制覇(ミラクル・メッツ)に貢献。
1973年には140試合に出場し、自己最多の16本塁打、58打点を記録。ワールドシリーズ第3戦では初回先頭打者本塁打を放つが、ワールドシリーズ史上最多(ワースト)タイ記録の11三振を喫する。チームは3年連続ワールドシリーズ制覇を達成したオークランド・アスレチックスに敗れ、最終第7戦では最後の打者となってしまった。1974年には自己最多の151試合に出場。同年、メッツ単独チームで日米野球で来日。
1976年シーズン途中にモントリオール・エクスポズに移籍。以後は控えとなり、1978年シーズン途中にセントルイス・カージナルスに移籍。
1979年に中日ドラゴンズに入団し、来日。同年は115試合に出場し、打率.252も20本塁打、71打点を記録。なお、同年5月24日の対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)で、本塁打を打ちながら一塁走者を追い越してしまい、本塁打が取り消されてアウトになった。翌1980年には打撃不振で77試合の出場に終わり、シーズン途中で解雇され、現役を引退して帰国した。
野球一家で、兄のエイドリアンもMLBとNPBでプレーし、弟のチャーリーもアトランタ・ブレーブスのマイナーでプレーした。また、甥(エイドリアンの息子)のジェイソンもフロリダ・マーリンズに指名され、4年間マイナーでプレーした。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 11 (1969年 - 1978年)
- 3 (1979年 - 1980年)
Remove ads
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ウェイン・ギャレット - NPB.jp 日本野球機構
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads