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1981年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 73 | 48 | 9 | .603 | 優勝 |
2位 | 広島東洋カープ | 67 | 54 | 9 | .554 | 6.0 |
3位 | 阪神タイガース | 67 | 58 | 5 | .536 | 8.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 56 | 58 | 16 | .491 | 13.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 58 | 65 | 7 | .472 | 16.0 |
6位 | 横浜大洋ホエールズ | 42 | 80 | 8 | .344 | 31.5 |
パ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 日本ハムファイターズ | 68 | 54 | 8 | .557 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 68 | 58 | 4 | .540 | 2.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 4.0 |
4位 | 西武ライオンズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 7.0 |
5位 | 南海ホークス | 53 | 65 | 12 | .449 | 13.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 54 | 72 | 4 | .429 | 16.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
日本シリーズ
個人タイトル
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
→詳細は「1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第53回選抜高等学校野球大会優勝:PL学園(大阪)
- 第63回全国高等学校野球選手権大会優勝:報徳学園(兵庫)
大学野球
- 第30回全日本大学野球選手権大会優勝:明治大
- 第12回明治神宮野球大会優勝:法政大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1981年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ) (4勝2敗) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
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できごと
1月
- 1月8日 - 近鉄はチャーリー・マニエルを自由契約としたと発表。契約交渉で折り合いがつかなかったため、マニエルの意向を受け球団が自由契約を認めた[1]。
- 1月9日 - 阪神はスティーブン・ラムの入団を発表。イタリア国籍であり、プロ野球史上初となるヨーロッパ出身の選手となった。球団は「第3の外国人選手」として二軍で育成する方針[2]。
- 1月10日 - プロ、アマ合同の日本野球規則委員会が東京・本郷の旅館「天竜」にて開かれ、今季からセントラル・パシフィック両リーグに「勝利打点」を新設することを決定[3]。
- 1月23日 - 野球体育博物館に表彰、掲額される野球人を選手する1981年度の競技者表彰委員会が開かれ、記者投票の結果を開票した結果、岩本義行と飯田徳治が選出される[4]。
2月
- 2月2日 - 神宮球場専門委員会が神宮球場会議室にて開かれ、今年から球場のフェンス広告の全廃、使用料金のプロ、アマ平均20パーセントの値上げを決定[5]。
- 2月3日 - 野球体育博物館に表彰掲載される人物を選ぶ特別表彰委員会が12時から東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、故佐伯達夫、故小川正太郎を選出[6]。
- 2月11日 - 大洋はカリフォルニア・エンゼルスの3A・ソルトレイクシティーのジェームス・ピータースの入団を発表[7]。
- 2月17日 - 元巨人、阪神の監督の藤本定義が7時、神戸市内の自宅にて脳出血のため死去[8]。
- 2月18日 - 巨人は選手兼任だった阿野鉱二バッテリー兼任トレーニングコーチと、キャンプ中に二軍打撃コーチ補佐となった原田治明を任意引退とし、これにより阿野、原田はともにコーチ専任となった[9]。
- 2月24日 - 中日は名古屋市中区の中日新聞の本社にて株主総会の後、役員会を開き、オーナーの小山武夫が退任し中日新聞本社社長の加藤巳一郎が新オーナーに、専務取締役の中川清が退任し参与になると決定[10]。
3月
- 3月6日 - 広島は3A・デンバーのアート・ガードナーの入団を発表[11]。
- 3月11日 - パ・リーグは理事会を開き、今年より最優秀救援投手勝利投手とは別にファイヤマン賞を設け表彰することを決定[12]。
- 3月12日 - 中日はオークランド・アスレチックスの3A・オグデンのレイ・コージーの入団を発表。1年契約、年俸1400万円(推定)[13]。
- 3月26日 - セ・リーグは東京・銀座の連盟事務所にて理事会を開き、優れた救援投手を表彰するファイヤマン賞を新設することを決定。また今季で1950年のリーグ発足以来通算観客動員数が2億人を突破する見込みであることから、記念の催しを行うことを決定[14]。
- 3月31日 - 阪急は大阪・梅田の球団事務所にて3A・タコマのウェイン・ケージの入団を発表[15]。
- 後楽園球場に日本初のオーロラビジョンが設置された[16]。
4月
- 4月1日 - 西武と南海はジム・タイロンと名取和彦のトレードが成立したと発表[17]。
- 4月4日 - プロ野球がセ・パ同時開幕[18]。
- 4月6日 - 巨人は島本啓次郎の近鉄への金銭トレードが成立したと発表[19]。
- 4月8日 - 第53回選抜高等学校野球大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、大阪府のPL学園が千葉県の印旛高校を2-1で破り、選抜大会初の優勝[20]。
- 4月9日 - 巨人の新浦寿夫が横浜スタジアムでの対大洋3回戦の三回裏に前泊哲明から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[21]。
- 4月11日 - 巨人の定岡正二が甲子園球場での対阪神2回戦に先発し、初回先頭打者の北村照文に二塁打を打たれるも、後の打者を27人連続で打ち取り1-0で完封勝利を収める「準完全試合」となる[22][23]。
- 4月15日
- 4月17日 - 阪神の深沢恵雄とロッテの福間納の交換トレードが成立したと阪神、ロッテ両球団が発表[26]。
- 4月22日
- 4月28日
- 4月29日 - ロッテのレオン・リーが西宮球場での対阪急前期5回戦の二回表に5号本塁打を打ち、プロ野球通算100本塁打を達成[32]。
5月
- 5月2日 - 近鉄の羽田耕一が日生球場での対西武4回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[33]。
- 5月6日 - 日本ハムの江夏豊が後楽園球場での対阪急5回戦の8回表1死より登板して3セーブ目をあげ、プロ通算100セーブを達成[34]。
- 5月19日 - 日本ハムの江夏豊が平和台球場での対南海6回戦でリリーフ登板して5セーブ目をあげ、史上はじめてセ・パ全球団からセーブを記録[35]。
- 5月21日 - 阪急の福本豊が西武球場での対西武9回戦でサイクルヒットを達成[36]。
- 5月31日 - 阪急の加藤英司が藤井寺球場での対近鉄10回戦の8回表に3号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[37]。
6月
- 6月3日 - 西武の大田卓司が西京極球場での対阪急11回戦の4回表に12号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[38]。
- 6月4日 - 大洋の野村収が神宮球場での対ヤクルト10回戦で3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[39]。
- 6月8日 - 後楽園球場にて巨人対阪神第11回戦が行われ、巨人が阪神に5-8と敗戦し球団創設以来通算2000敗を記録[40]。
- 6月18日 - 広島の山本浩二が広島球場での対巨人15回戦の6回裏に二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[41]。
- 6月25日 - ロッテ対西武の12回戦が川崎球場で行われ、ロッテが西武に2-1と勝利、阪急対日本ハムの13回戦が西宮球場で行われ阪急が0-4と敗戦し、ロッテの前期優勝が決まる[42]。
7月
8月
- 8月1日
- 8月2日
- 第52回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場での行われ、東京都代表の電電東京が川崎市の東芝を3-2で下し、大会初優勝[54]。
- 広島の山本浩二が広島球場での対中日19回戦の1回裏に31号本塁打を放ち、プロ通算1000打点を達成[55]。
- 8月4日 - 阪神の小林繁が横浜球場での対大洋16回戦の4回裏に屋鋪要から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[56]。
- 8月5日 - 巨人はナゴヤ球場での対中日17回戦の1回表に得点を挙げ、セ・リーグ新記録となる144試合連続得点を達成[57]。
- 8月6日 - ロッテの村田兆治が宮城球場での対日本ハム後期6回戦で17勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[58]。
- 8月7日 - 阪神の掛布雅之がナゴヤ球場での対中日17回戦の第一打席から第三打席まで3打席連続で安打を放ち、5日の対大洋17回戦の第二打席から10打数連続安打のプロ野球タイ記録。第四打席でショートゴロに倒れ記録は10でストップ[59]。
- 8月10日 - 西武の山崎裕之が西武球場での対ロッテ後期5回戦の3回裏に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成[60]。
- 8月11日 - 阪急の中沢伸二が日生球場での対近鉄4回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[61]。
- 8月20日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対巨人24回戦の1回裏に水谷実雄の左前安打で二塁から生還し、プロ通算1000得点を達成。史上14人目[62]。
- 8月21日 - 第63回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、兵庫県代表の報徳学園が京都府代表の京都商を2-0で破り初優勝[63]。
- 8月26日
- 8月27日 - 阪神は大阪市内の球団事務所で記者会見し、江本孟紀を任意引退選手にしたと発表。さる26日の甲子園球場での阪神対ヤクルト19回戦に先発して降板後に報道陣に対し「ベンチがアホだから野球ができない」と首脳陣を批判するコメントを出し、27日、球団代表の岡崎義人が江本を呼びこの件について事情聴取したが、江本はこの席で退団を申し入れたのを球団に認められたため[68]。
- 8月29日 - 阪急の加藤英司が西宮球場での対南海後期6回戦5回表に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[69]。
- 8月31日 - 【MLB】カンザスシティ・ロイヤルズは監督のジム・フライを解任し、後任にニューヨーク・ヤンキース前監督のディック・ハウザーが就任したと発表[70]。
9月
- 9月1日 - 日本ハムの間柴茂有が後楽園球場での対近鉄後期11回戦で勝利投手となり、これで開幕から12連勝となり、1965年に南海の林俊宏のパ・リーグ記録と並ぶ[71]。
- 9月5日 - 大洋の田代富雄がナゴヤ球場での対中日24回戦4回表に25号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[72]。
- 9月6日
- 9月7日 - 日本ハムの間柴茂有が後楽園球場での対南海後期13回戦で勝利投手となり、これで開幕から13連勝のプロ野球タイ記録[75]。
- 9月9日 - 阪神の江本孟紀が午後、大阪市北区の阪神球団事務所を訪れ、任意引退の手続きを行う[76]。
- 9月11日 - 中日の大島康徳が広島球場での対広島23回戦の3回表に二塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成[77]。
- 9月12日 - 日本ハムの江夏豊が西宮球場での対阪急後期10回戦の10回裏にリリーフ登板し、プロ通算700試合登板を達成。史上9人目[78]。
- 9月13日
- 9月16日 - 中日の富田勝が神宮球場での対ヤクルト25回戦の六回表二死満塁の場面で代打で登場し、梶間健一に対しファウル14本、ボール3球と粘り、18球目を中前適時安打した[81]。
- 9月17日 - 阪急の稲葉光雄が西宮球場での対ロッテ後期12回戦に先発し完投で11勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成。81人目[82]。
- 9月21日 - ナゴヤ球場での中日対巨人24回戦は中日が巨人を4-0で完封し、巨人は昨年8月4日対広島14回戦から続いていた連続試合得点が170試合で止まる[83]。中日の谷沢健一が一回裏に26号本塁打を打ち、前日21日の同23回戦に続いて4打席連続本塁打のプロ野球タイ記録[84]。
- 9月23日
- 9月24日 - 大洋漁業社長の中部藤次郎が東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し、「大洋は長島茂雄氏に対して来季の監督就任を要請した」と発表[86]。
- 9月25日 - 大洋は監督の土井淳が休養し、投手コーチの山根俊英が監督代行となることを発表[87]。
10月
- 10月2日 - 近鉄の監督の西本幸雄が、大阪の上本町の近鉄本社にオーナーの佐伯勇を訪ね、シーズンの報告と、健康上の問題から辞任を申し入れ、受理される[88]。
- 10月4日
- 10月5日 - 巨人の河埜和正が後楽園球場での対ヤクルト26回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[91]。
- 10月6日 - 近鉄は上本町の近鉄本社にて15時より記者会見し、打撃コーチの関口清治が新監督に就任したと発表[92]。
- 10月9日 - 近鉄は野球評論家の岡本伊三美が打撃コーチに就任したと正式に発表[93]。
- 10月13日 - パ・リーグのプレーオフの第5戦が後楽園球場で行われ、日本ハムがロッテを8-4で破り、1962年の東映時代以来19年ぶり2度目、74年の球団誕生初となるパ・リーグ優勝[94]。
- 10月14日
- 10月23日 - 阪神は大阪市北区のホテル阪神にて14時から記者会見し、二軍監督の安藤統男の新監督就任を発表[98]。
- 10月25日 - 日本シリーズの第6戦が後楽園球場にて行われ、巨人が日本ハムを8-1と破り対戦成績を4勝2敗として、1973年以来8年ぶり、16度目の日本一を達成[99]。
- 10月27日 - 1981年度のセ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決めるプロ野球記者投票が10時から東京・銀座のコミッショナー事務局で開票。最優秀選手にセ・リーグは江川卓、パ・リーグは江夏豊が選出される。最優秀新人にセ・リーグは巨人の原辰徳、パ・リーグは西武の石毛宏典が選出される[100]。
- 10月28日 - 【MLB】ワールドシリーズのロサンゼルス・ドジャース対ニューヨーク・ヤンキースの第6戦がニューヨークのヤンキースタジアムで行われ、ドジャースが9-2でヤンキースに勝利し、1965年以来球団史上5度目のワールドチャンピオンとなる[101]。シリーズの最優秀選手にペドロ・ゲレーロ、ロン・セイ、スティーブ・イェーガーの3名[102]。
- 10月29日
- 10月31日 - ロッテの張本勲が東京・西新宿のロッテ本社に松井静郎球団社長を訪ね、現役引退を申入れ了承される[105]。
11月
- 11月4日 - 大洋は17時より横浜市のニューグランドホテルにて臨時株主総会を開き、球団社長の武田五郎が退任し塩谷政徳を選出、球団代表の別当薫が退任し柴山二郎を選出[106]。
- 11月6日 - 大洋は16時から横浜市のニューグランドホテルにて記者会見し、野球評論家の関根潤三が監督に就任したと正式に発表[107]。
- 11月10日 - 広島は巨人の迫丸公勝を金銭トレードで獲得したと発表[108]。
- 11月13日 - ロッテは錦糸町のロッテ会館にて近鉄の一軍打撃コーチの山本一義が監督に就任したと正式に発表[109]。
- 11月17日 - パ・リーグ選手会を代表して西武・山崎裕之とロッテ・村田兆治が午後、東京・銀座のパ・リーグ連盟事務所を訪れ「選手会は1シーズン制の復活を強く希望する」との要望書を提出[110]。
- 11月19日 - パ・リーグ理事会が午後、東京・銀座のコミッショナー事務局にて行われ、来シーズンも前後期の2シーズン制を実施すると決定[111]。
- 11月25日 - 1981年度プロ野球新人選択会議が11時から東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、大府高校の槙原寛己は巨人、報徳学園の金村義明は近鉄、また西武の球団職員で所沢高校定時4年生の伊東勤は西武がそれぞれ交渉権を獲得[112]。
- 11月28日 - 中日はレイ・コージ、志賀正浩、大島秀晃の自由契約と関東孝雄の任意引退を発表。関東はスカウトに就任する[113]。
- 11月30日
12月
- 12月7日 - プロ野球オーナー会議が東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、プロ野球の各本拠地球場へ下田武三コミッショナー名で「球場の広さを野球規則に則り統一するように」との要望書を出すことで合意した[116]。
- 12月11日 - 大韓民国でプロ野球創立総会が開かれ、プロリーグ発足が決定した。
- 12月21日 - 近鉄はシンシナチ・レッズAAAのインディアナポリス・インディアンスのローレンス・ウォルフの入団を発表[117]。
- 12月24日 - パ・リーグ理事会が東京・銀座の連盟事務所で開かれ、定年で退任した久喜勲審判部長に代わり、斎田忠利を審判部長に選出。来年の理事長に日本ハム球団代表の三原脩を選出した[118]。
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誕生
要約
視点
1月
2月
3月
- 3月3日 - 沈鈺傑
- 3月4日 - 酒井順也
- 3月9日 - リッキー・バレット
- 3月11日 - 潘武雄
- 3月12日 - 井生崇光
- 3月13日 - マイク・アビレス
- 3月14日 - ボビー・ジェンクス
- 3月16日 - カーティス・グランダーソン
- 3月17日 - 館山昌平
- 3月19日 - ホセ・カスティーヨ
- 3月20日 - 衣川篤史
- 3月23日 - 加藤健
- 3月25日 - 林恩宇
- 3月25日 - 陽森
- 3月26日 - 妹尾軒作
- 3月28日 - 石川雅実
- 3月30日 - 工藤隆人
ここまでの選手については松坂世代も参照
4月
5月
6月
- 6月1日 - 石川賢 (1981年生の投手)
- 6月1日 - カルロス・ザンブラーノ
- 6月3日 - 川﨑宗則
- 6月5日 - 松村豊司
- 6月5日 - 眞山龍
- 6月8日 - 條辺剛
- 6月8日 - 末永真史
- 6月11日 - 朝倉健太
- 6月15日 - 大島裕行
- 6月16日 - ジョー・ソーンダース
- 6月21日 - ギャレット・ジョーンズ
- 6月26日 - 鳥谷敬
- 6月28日 - ブランドン・フィリップス
7月
8月
9月
10月
11月
12月
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死去
脚注
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