トップQs
タイムライン
チャット
視点
マルクス・ビニシウス・デ・モライス
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
マルクスことマルクス・ビニシウス・デ・モライス(Marcus Vinícius de Morais、1974年2月25日 - )はブラジル出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW、MF。ブラジルではマルクス・ビニシウスとして知られる。
Remove ads
経歴
ECグアラニに在籍していた1997年、カンピオナート・ガウショ(リオグランデ・ド・スル州選手権)で28ゴールを挙げて得点王に輝く[1]。同年に日本のジャパンフットボールリーグの本田技研に加入し、エースストライカーとして活躍、1999年には22得点を挙げ、日本フットボールリーグ得点王に輝く。
2000年にブラジルのクラブへ移籍したが、その後、わずか2年間で5つものチームを渡り歩いた。
2002年に当時J2のアルビレックス新潟へ入団し、エースストライカーとして活躍。2年連続でリーグ得点王に輝き、新潟のJ1昇格に大きく貢献した。しかし、契約条件が折り合わず2004年にJ2の川崎フロンターレへ移籍。川崎では主にMFとして起用されたため、得点数自体は減ったものの、それでも18得点を挙げる活躍をみせ、ここでもチームのJ1昇格に貢献。2005年にはジュニーニョらと共にチームの攻撃の中核を担い、多くのアシストを決めチームの上位進出の原動力となった。
2006年も主力の一人として活躍していたが、またしてもチームの方針と合わず、方針の不一致という理由でシーズン途中に突然チームを離れることになり、6月24日に東京ヴェルディ1969への移籍が発表された。[2] 東京Vでも主に攻撃的MFとして起用され、途中加入ながら5得点を挙げた。
2007年も契約を更新し、[3] 東京Vでプレイするかと思われたが、急遽横浜F・マリノスへの移籍が決まった。しかし開幕戦からの数試合は起用されていたが負傷等で離脱し、以降ベンチ入りメンバーにも選出されない状況となり、同年7月31日の契約期間満了をもって更新をしないとチームが発表。7月11日にブラジルへ帰国した。
Remove ads
エピソード
所属クラブ
- 1993年
サン・ジョゼEC
- 1994年
アイモーレEC
- 1995年
エスポルチーヴォ
- 1996年
ミジョナリオス
- 1997年
ECグアラニ
- 1997年 - 1999年
本田技研工業
- 2000年
リオ・ブランコEC
- 2000年
グアラニFC
- 2001年
リオブランコEC
- 2001年
ECバイーア
- 2002年
アメリカ-SP
- 2002年 - 2003年
アルビレックス新潟
- 2004年 - 2006年途中
川崎フロンターレ
- 2006年途中 - 2006年
東京ヴェルディ1969
- 2007年 - 同年7月
横浜F・マリノス
- 2007年
ECヴィトーリア
- 2008年
CAジュベントス
- 2008年
サン・ジョゼEC
- 2009年
SERカシアス・ド・スル
個人成績
Remove ads
タイトル
クラブ
- J2リーグ:1回(2004年)
個人
- 1997年 - カンピオナート・ガウショ得点王
- 1999年 - 日本フットボールリーグ得点王
- 2002年 - J2リーグ得点王
- 2003年 - J2リーグ得点王
出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads