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パーソン・オブ・ザ・イヤー
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パーソン・オブ・ザ・イヤー(英語: Person of the Year)または今年の人は、アメリカ合衆国のニュース雑誌「タイム」の編集部が年1回年末[1]、その年の「良くも悪くもその年の出来事に最も影響を与えた」人物(またはグループ、物など)を特集し、そのプロフィールを掲載するものである[2]。その号の表紙には、パーソン・オブ・ザ・イヤーの肖像が掲げられる。
概説

1927年に始まったもので「タイム」誌の編集者がその年のニュースメーカーを考察している。またこれはその年に初の単独大西洋横断飛行を達成したチャールズ・リンドバーグをまだ表紙に登場させていなかったため、それをカバーするという目的もあった[3]。
当初は「マン・オブ・ザ・イヤー(Man of the Year)」と称しており、女性が選ばれたときに「ウーマン・オブ・ザ・イヤー(Woman of the Year)」としていた。男性だけでなく女性も対象であるため、1999年に「パーソン・オブ・ザ・イヤー」へ改名された。以降の説明中、「パーソン・オブ・ザ・イヤー」には、「マン・オブ・ザ・イヤー」やその他の名称によるものも含む。
選出された人物
要約
視点
アメリカ大統領
1927年以降に在任したアメリカ合衆国大統領は、そのほとんどがパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。例外は、カルビン・クーリッジ、ハーバート・フーヴァー、ジェラルド・R・フォードの3人のみである。
ほとんどは、選出された年または在職中にパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。大統領選出前にパーソン・オブ・ザ・イヤーとなったのはドワイト・D・アイゼンハワー(1944年)が唯一である。アイゼンハワーは在任中の1959年に再び選出された。
フランクリン・D・ルーズベルトは、1932年に次期大統領としてパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出され、在任中の1934年と1941年にも選出された。3回パーソン・オブ・ザ・イヤーとなったのは、(米大統領以外を含めても)ルーズベルトが唯一である。
欧米出身者以外
1930年にインドのマハトマ・ガンディーがアジア出身者として、1935年にエチオピアのハイレ・セラシエ1世がアフリカ出身者として初めて選ばれた。中国の鄧小平は欧米出身者以外で唯一2回(1978年、1985年)選ばれている。
女性
「パーソン・オブ・ザ・イヤー」となる1999年よりも前に、3人の女性が「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。ウォリス・シンプソン(1936年)、エリザベス2世女王(1952年)、コラソン・アキノ(1986年)である。また、1937年は蔣介石とともに妻の宋美齢が選出され、「マン・アンド・ワイフ・オブ・ザ・イヤー(Man and Wife of the Year)」と称された[4]。
1975年には、「アメリカの女性」が「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。他に、「ハンガリーの自由の戦士」(1956年)、「米国の科学者」(1960年)、「25歳以下の人々」(1966年)、「アメリカの中産階級」(1969年)などは、対象者に女性も含まれる。これらのうち、1956年と1966年の両版では「マン・オブ・ザ・イヤー」のままだったが、男性の後ろに立つ女性を特集した1960年の「米国の科学者」では「メン・オブ・ザ・イヤー(Men of the Year)」となり、1969年の「アメリカの中産階級」では、表紙は男性のみだったが、「マン・アンド・ウーマン・オブ・ザ・イヤー(Man and Woman of the Year)」とした。
1999年には「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に改称された[5]。
2020年、国際女性デーを記念して、『タイム』誌の編集者が、過去100年のパーソン・オブ・ザ・イヤーのうち、女性が選ばれた11件以外の89件を女性に置き換えた「100人のウーマン・オブ・ザ・イヤー」を発表し、1995年に緒方貞子が日本人で唯一選ばれた[6]。
集団と人間以外

その名前に反して、個人だけに与えられているわけではない。夫婦や政敵などのペアや、集団、無生物などもパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。
なお、集団が選出された場合でも、表紙や特集記事では、その集団に属する特定の人物が取り上げられる場合がある。それはその集団の代表として取り上げているものであり、その特定の人物(のみ)がパーソン・オブ・ザ・イヤーに選定されたという意味ではない。
- 名前を明示した複数の人物
- 蔣介石と宋美齢(1937年、中華民国軍事委員会委員長とその妻)
- ウィリアム・アンダース、フランク・ボーマン、ジム・ラヴェル(1968年、アポロ8号の乗組員)
- リチャード・ニクソンとヘンリー・キッシンジャー(1972年、米大統領と国家安全保障担当補佐官)
- ロナルド・レーガンとユーリ・アンドロポフ(1983年、冷戦下の米ソの首脳)
- イツハク・ラビン、ヤセル・アラファト、フレデリック・ウィレム・デクラーク、ネルソン・マンデラ(1993年、平和的交渉を行った政治的リーダー)
- ビル・クリントンとケン・スター(1998年、クリントン大統領弾劾の主要人物)
- シンシア・クーパー、コリーン・ロウリー、シェロン・ワトキンス(2002年、内部告発者)
- ビル・ゲイツ、メリンダ・ゲイツ、ボノ(2005年、慈善活動家)
- ジョー・バイデン、カマラ・ハリス(2021年、アメリカ合衆国大統領と副大統領)
- 名前を明示しない集団
- アメリカの兵士(1950年、2003年)
- ハンガリーの自由の戦士(1956年)
- アメリカの科学者(1960年)
- 25歳以下の人々(1966年)
- アメリカの中産階級(1969年)
- アメリカの女性(1975年)
- あなた(2006年)
- 抗議する人(2011年)
- エボラと闘う人々(2014年)
- 沈黙を破った人たち(2017年)
- 守護者たち(2018年)
- 無生物
- コンピュータ(1982年、マシン・オブ・ザ・イヤー(Machine of the Year))
- 危機にある地球(1988年、プラネット・オブ・ザ・イヤー(Planet of the Year))
特別賞
1949年にはウィンストン・チャーチルが「マン・オブ・ザ・ハーフ・センチュリー(Man of the Half-Century、この半世紀の男)」に、1989年にはミハイル・ゴルバチョフが「マン・オブ・ザ・ディケード(Man of the Decade、この10年の男) 」に選出された。
1999年、20世紀における最も影響力のある人物100人の一覧「タイム100: 今世紀最も重要な人物」が掲載された。同年の12月31日号では、その中から「パーソン・オブ・ザ・センチュリー(Person of the Century、今世紀の人物)」としてアルベルト・アインシュタインが選ばれ、フランクリン・D・ルーズベルトとマハトマ・ガンジーが次点に選ばれた[7]。
物議を醸した選出
この称号は、過去に多くの立派な人々が選ばれたということを以て、しばしば名誉とみなされ、「賞」であるように語られている[8]。しかし『タイム』誌では、アドルフ・ヒトラー(1938年)、ヨシフ・スターリン(1939年、1942年)、ニキータ・フルシチョフ(1957年)、アヤトラ・ホメイニ(1979年)のような物議を醸した人物もこの称号を受けているという事実を示して、この称号は栄誉というわけではないと頻繁に書いている[9]。
1979年にホメイニを「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出したことで米国政府から反発を受けた結果、タイム社はそれ以来、売上や広告収入の減少を恐れて、米国で物議を醸している人物を選出することを避けてきた[10]。
1999年の「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」について、第二次世界大戦、ホロコースト、第二次エチオピア戦争の責任者であるアドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニの方が、政治への影響力で選出されるべきではないかという論争が起こった[11]。これは、「良くも悪くも今世紀に最大の影響を与えた人物」という明確な基準に基づくものである。「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」が掲載されたのと同じ号にて、エッセイストのナンシー・ギブスは"The Necessary Evil?"(必要悪?)という記事でこのトピックに取り組んだ。記事の中で彼女は、「ヒトラーとムッソリーニは、チンギス・ハン以前にまでさかのぼる、歴史上多く現れた残忍な人物の中で、最も新しいものである。唯一の違いは技術である。ヒトラーとムッソリーニはいずれも、現代の産業が完成させたあらゆる効率の良い兵器で冷笑的な大虐殺を行った」と述べ、「悪は強力な力であり、魅惑的な考えかもしれないが、それは天才・創造性・勇気あるいは寛大さよりも強力だろうか?」などの反語的な質問を提示した[12]。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の直後に発表された2001年のパーソン・オブ・ザ・イヤーは、ニューヨーク市のルドルフ・ジュリアーニ市長が選ばれた[13]。しかし、「その年の出来事に最も大きな影響を与えた個人またはグループを選ぶ」という明文化された選考ルールに基づけば、ウサーマ・ビン・ラーディンが選ばれる可能性が高かった。2001年のパーソン・オブ・ザ・イヤーを発表した号には、タイム誌がアヤトラ・ホメイニを選んだという以前の決定と、ヒトラーを「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」とすることを1999年に拒否したことに言及した記事が掲載されていた。その記事は、ヒトラーがアインシュタインよりも有力な候補者であったのと同様に、ウサーマ・ビン・ラーディンがジュリアーニよりも有力な候補者であったことを暗示しているように見えた。
他に物議を醸したのは、2006年の「あなた」だった。これは、インターネット(ブログ、MySpace、YouTube、ウィキペディアなど)を利用して情報化時代を進めている人々(全員ではないにしても)を代表して、今この雑誌を読んでいる「あなた」をパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出したというものだった[14]。
取り消された選出
1941年にはディズニーのアニメ映画のキャラクター「ダンボ」がマーマル・オブ・ザ・イヤー(Mammal of the Year)として選出されており、正式な肖像画風の表紙が作成されていた。しかし、12月7日の真珠湾攻撃を受けて表紙はフランクリン・ルーズベルト米大統領に変更された。ルーズベルトは3回目の選出だった。なお、ダンボのマーマル・オブ・ザ・イヤーとしてのプロフィールは、同じ号の中程に掲載されている[15]。
映画監督のマイケル・ムーアは、2004年のパーソン・オブ・ザ・イヤーは自分とメル・ギブソンだったはずだと主張している。この年に公開されたムーアの政治ドキュメンタリー『華氏911』は物議を醸したが、ドキュメンタリー映画としては史上最高の興行収入を記録した。同じ年に公開されたギブソンの監督作品『パッション』もまた、興行的に成功したが、大きな論争を巻き起こした。ムーアはインタビューで次のように語った。「2004年の(米大統領)選挙直後にタイム誌の編集者から電話がありました。彼は、『タイム誌があなたとメル・ギブソンをタイムのパーソン・オブ・ザ・イヤーに選んで、メルとマイクが右と左に表紙を飾ることになりました』と言っていました。『やってほしいことは、お互いにポーズをとって写真を撮って、一緒にインタビューを受けてもらうだけです。』私は『OK』と言いました。彼らはメルに電話して、彼も同意しました。彼らはLAで日時を決めてくれました。私はそこへ行くことになりました。彼はオーストラリアからやって来ました。彼が家に帰ったときに何かが起きて……。次の瞬間、メルが電話をかけてきて『俺はやらない』と言いました。『よく考えてみたが、それは正しいことではない。』と。それで彼ら(タイム誌)はブッシュを表紙にしたのです[16]。」
2017年11月24日、ドナルド・トランプ米大統領はツイッターに、彼が拒否していたインタビューと写真撮影をすることと引き換えに、2度目のパーソン・オブ・ザ・イヤーに「おそらく」選出されるだろうと投稿した。タイム誌は、次点に挙げられたトランプとの間でそのような約束や条件を交わしたことを否定した[17]。
オンライン投票
『タイム』誌では、1998年からインターネットによるパーソン・オブ・ザ・イヤーの読者投票を受け付けている。ただし、このオンライン投票で多数を獲得した者がそのまま選出されるわけではなく、最終決定はそれまで通り『タイム』誌の編集者が行っている。
1998年に行われた第1回オンライン投票では、プロレスラーで活動家のミック・フォーリーと同性愛者であることを理由に殺害された大学生のマシュー・シェパードが上位を競い[18][19]、最終的にミック・フォーリーが50%以上の[要出典]組織票で1位を獲得した[20]。タイム誌はこの組織票を無効とし[20]、ビル・クリントンとケン・スターが選ばれたため、インターネット投票の勝者が選出されると勘違いしていたフォーリーのファンの怒りを買った。
同様に2001年には田代まさしが組織票(田代祭)で1位を獲得した[21] が、投票結果は無効となり、翌年以降は投票フォームに人名を入力する方式から、あらかじめタイム誌がノミネートした人物の中から投票する方式に変更された。
2006年の投票では、ウゴ・チャベスがインターネット投票の35%の票を獲得したが、パーソン・オブ・ザ・イヤーには選ばれなかった[22]。
2012年の投票では、4chanユーザーがインターネット投票に組織票を投じ、1位は金正恩、上位14名の最初の文字は「KJU GAS CHAMBERS」となっていた。「KJU」は金正恩の頭文字、「GAS CHAMBERS」はガス室のことである[23]。
タイム誌は1998年以降オンライン投票を毎年実施しているが、同誌が誰を選ぶかは、投票ではなく編集者によって決定されると強調している[24]。
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歴代のパーソン・オブ・ザ・イヤー
要約
視点
名前の後の括弧書きは、複数回選出された場合のそれまでの選出回数を示す。
1927年から1950年まで
1951年から1975年まで
1976年から2000年まで
2001年以降
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脚注
関連項目
外部リンク
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