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マーク・フィリプーシス

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マーク・フィリプーシス
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マーク・アンソニー・フィリプーシスMark Anthony Philippoussis, 1976年11月7日 - )は、オーストラリアメルボルン出身のギリシャ系オーストラリア人男子プロテニス選手。身長195cm、体重102kgの大型選手。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス18位。これまでにATPツアーでシングルス11勝、ダブルス3勝を挙げる。(新聞の一般表記では「フィリプーシス」となっているが、「フィリポーシス」と表記されることも多い。

概要 マーク・フィリプーシスMark Philippoussis, 基本情報 ...

4大大会の1998年全米オープン男子シングルス2003年ウィンブルドン選手権男子シングルスの準優勝者である。

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プレースタイル

『スカッド・サーブ』と呼ばれる高速サーブを武器とするビッグサーバー。

1990年代後半はボリス・ベッカーの後継者と期待され、驚異的パワーを生かしたサーブ、フォアハンドを持った怪物プレイヤーであった。 しかし今一歩飛躍出来ず、サーブ優位からストローク優位の時代の変化も加わり、全米/全英準優勝各1回とグランドスラム優勝には届かなかった。1990年代後半から2000年代前半に活躍したテニスプレイヤーである。

選手経歴

フィリプーシスはボリス・ベッカーに憧れて、6歳からテニスを始めた。1994年にプロ転向。1995年全米オープン3回戦で当時の王者ピート・サンプラスに挑み、敗れた。同年の10月にセイコー・スーパー・テニスで初来日し、マイケル・チャンとの決勝戦まで勝ち進んだ。

1996年ウィンブルドン選手権全米オープンで、フィリプーシスは4歳年上の先輩選手パトリック・ラフターとペアを組み、2大会連続で男子ダブルス準決勝に勝ち進んだ。2人は両大会とも、オーストラリアを代表するペアのウッディーズに連敗した。しかし、ラフターが1997年全米オープンで初優勝した後、フィリプーシスとラフターは仲違いをしてしまい、とうとう和解できずに終わってしまった。

フィリプーシスは1998年全米オープン2003年ウィンブルドン選手権で、4大大会に2度の準優勝がある。前者はパトリック・ラフターとのオーストラリア対決の決勝戦であった。その後3度の手術を乗り越えて進出した後者の決勝戦では、後に4大大会18勝を果たすロジャー・フェデラーに6-7, 2-6, 6-7のストレートで敗れた。フェデラーの4大大会初優勝の相手はこのフィリプーシスである。

それから再び長期間のスランプに陥ったが、2006年7月第3週にテニス殿堂選手権で3年ぶりのツアー優勝を果たし、通算11勝目を挙げた。2007年以後、彼は故障のため男子ツアーの出場から遠ざかり、復帰と引退を繰り返している。

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ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 22回 (11勝11敗)

大会グレード
グランドスラム (0-2)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (1-1)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (2-1)
ATPインターナショナルシリーズ (8–7)
サーフェス別タイトル
ハード (8–7)
クレー (1-0)
芝 (2-1)
カーペット (0-3)
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ダブルス: 6回 (3勝3敗)

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4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

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外部リンク

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