トップQs
タイムライン
チャット
視点

ムトト

ウィキペディアから

ムトト
Remove ads

ムトト (Mtoto) はイギリスで競走生活を送った競走馬、および種牡馬古馬になってからイギリスの中距離路線で活躍し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝やエクリプスステークス連覇などの戦績を残した。馬名はスワヒリ語に由来し、単数形の「子供」を意味する言葉である。

概要 ムトト, 欧字表記 ...

経歴

2歳時の1985年より競走馬としてデビューしているが、2歳時は1戦のみで終わり、また3歳になってヘイドックパーク競馬場の未勝利戦で初勝利を挙げているが、そのほかの競走ではぱっとした成績ではなかった。

しかし4歳となった1987年から、その成績はどんどんと好転した。まず5月にその年の初戦である、サンダウンパーク競馬場のブリガディアジェラードステークス (G3) に出走、ここで優勝して初の重賞勝ちを収めた。翌戦プリンスオブウェールズステークス(当時G2)も勝ち、さらにG1エクリプスステークスでも優勝し、戴冠とともに3連勝を飾った。続くキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス重馬場を嫌って出走回避[2]。この年フランス凱旋門賞にも遠征しているが、トランポリーノの4着に敗れている。

5歳シーズンは1988年5月の準重賞から始動して1位に入線したが、出走全馬がコースを間違えていたことでレースが無効(不成立)となる[1]。しかしプリンスオブウェールズステークスとエクリプスステークスではそれぞれ連覇を飾り、さらにキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでもスローペースのなか追い込み[3]が決まり、連勝記録を伸ばした。そのあとセレクトステークス (G3) を勝ってから挑んだ同年の凱旋門賞では、直線で内に閉じ込められるロスがあり[4]優勝したトニービンクビ差届かず2着に終わったが、同年はこれ以外負けなしという内容の濃い成績を残した。それが評価され、イギリスの競馬雑誌『ペースメイカー・インターナショナル』主催の表彰において欧州年度代表馬の座に加え、古馬部門と中距離部門のタイトルも獲得した[1]

ムトトは5歳シーズンを最後に競走生活を引退し、以後はアストンアプソープスタッドに繋養される種牡馬となった[1]。初年度の種付け料は18000ポンドであった。

現代の流行からはかけ離れた血統背景を持つが、英ダービー優勝馬シャーミット(Shaamit 1993年生、牡馬)やアスコットゴールドカップ優勝馬セレリック(Celeric 1992年生、せん馬)など、おもに中長距離で活躍馬を出した。しかし、牡馬で唯一のG1勝ち馬であるシャーミットはG1勝ち馬を1頭出すにとどまり、それ以外の後継種牡馬もこれといった産駒を出せず、父系は勢力を失いつつある。

2011年、28歳で死亡した[5]

おもな産駒

Remove ads

競走成績

さらに見る 出走日, 競馬場 ...
Remove ads

血統表

ムトト血統ブランドフォード系 / Donatello3×4=18.75%(血統表の出典)

Busted
1963 鹿毛
父の父
Crepello
1954 栗毛
Donatello Blenheim
Delleana
Crepuscule Mieuxce
Red Sunset
父の母
Sans le Sou
1957 鹿毛
*ヴィミー
Vimy
Wild Risk
Mimi
Martial Loan Court Martial
Loan

Amazer
1967 鹿毛
*ミンシオ
Mincio
1957 鹿毛
Relic War Relic
Bridal Colors
Merise Le Pacha
Miraflore
母の母
Alzara
1961 栗毛
Alycidon Donatello
Aurora
Zabara Persian Gulf
Samovar F-No.1-k

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads