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ヤロスラフ・ポポヴィッチ
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ヤロスラフ・ポポヴィッチ、ヤロスラウ・パーウロヴィチ・ポポーヴィチ(ウクライナ語: Яросла́в Па́влович Попо́вич;ラテン文字表記: Yaroslav Popovych、1980年1月4日- )は、ウクライナ(旧ソビエト連邦)・ドロホーブィチ出身の自転車競技選手。
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経歴
- ロードレース世界選手権・U23個人ロード 優勝
- パリ〜ルーベのU23種目 優勝
2002年、ベルギーのランドブーヴクレディートと契約を結んでプロへ転身。
- ジロ・デ・イタリア初出場を果たし、総合12位。
- ジロ・デ・イタリア 総合3位。
- ジロ・デ・イタリア 総合5位
2005年、ランス・アームストロング擁するディスカバリーチャンネルへ移籍。
- アームストロングが7連覇(ただしドーピングの発覚により2012年に全成績剥奪処分)を達成したその年のツール・ド・フランスに出場し、総合12位。さらにマイヨ・ブラン(新人賞)を獲得。
- カタルーニャ一周では総合優勝を飾る。
- 前年のツール7連覇を最後に現役を引退したアームストロングの後継リーダー的存在となり、同年のツール・ド・フランスの第12ステージを制し、グランツールでの初の1勝をマーク。
- 3年ぶりの出場となったジロ・デ・イタリアでは、ディスカバリーチャンネルのリーダーとして出場するも、第12ステージにおいて、2回の大量落車を受けた影響からリタイアを余儀なくされた。
- ツール・ド・フランスでは、同年のパリ〜ニースで総合優勝を果たしたアルベルト・コンタドールやリーヴァイ・ライプハイマーといった選手たちのアシスト役に回ったが、総合8位。マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ(山岳賞)争いでは3位に入る健闘を見せた。
2008年、前年のシーズンを最後にディスカバリーチャンネルが解散。新たな移籍先として、カデル・エヴァンスやロビー・マキュアンらがいるサイレンス・ロットへ移籍したが、これといった実績は挙げられなかった。
2009年、かつての盟友ランス・アームストロングが復帰するアスタナへ移籍。
2010年、チーム・レディオシャックへ移籍。
- ヘント〜ウェヴェルヘム 9位
2016年、パリ~ルーベを最終レースとし、引退。
2017年からはトレック・セガフレードでアシスタント・スポーツディレクターを務めている。また、2019年からは同チームの女子チームのアシスタント・スポーツディレクターも兼務している。
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タイプ
ステージレースにおける実績が目立つが、ワンデイレースもこなせるオールラウンダー型選手。
外部リンク
- ヤロスラフ・ポポヴィッチ - サイクリングアーカイヴス
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