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ランディ・コリー

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ランディ・コリー
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ランディ・コリーRandy Adrian Colley1950年5月2日 - 2019年12月14日[1])は、アメリカ合衆国プロレスラーミシガン州フリント出身[2]

概要 ムーンドッグ・レックス, プロフィール ...

1980年代よりWWFをはじめ各地の団体で活躍したタッグチーム "ザ・ムーンドッグス" のオリジナル・メンバーであり、ムーンドッグ・レックスMoondog Rex)のリングネームで知られた[4]

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来歴

要約
視点

1971年のデビュー後、フロリダジョージアテキサステネシーアラバマなど各地をさまざまなリングネームで転戦[3]。アラバマでは1977年にジム・ダルトンとのコンビでリップ・タイラー&エディ・サリバンとNWAガルフ・コースト・タッグ王座を争った[5]1978年にはタイラーの仲介で国際プロレスへの来日が予定されていたが、負傷のため中止になっている[6]

1979年から1980年にかけては覆面タッグチームジ・アサシンズThe Assassins)を結成して活動。テネシーではアサシン1号(Assassin #1)として2号のロジャー・スミスクルト・フォン・ヘスをパートナーに、リッキー・ギブソン&ロバート・ギブソンビル・ロビンソン&ケン・ルーカスなどのチームとAWA南部タッグ王座を賭けて抗争[7][8]。ジョージアでは初代アサシンズジョディ・ハミルトンが1号、自身が2号(Assassin #2)となって、ミネソタ・レッキング・クルーオレイ&ラーズ・アンダーソン)やミスター・レスリング1号&2号とNWAジョージア・タッグ王座を争った[9]

1980年末、野獣系ギミックムーンドッグ・レックスMoondog Rex)に変身してWWFに登場。キャプテン・ルー・アルバーノマネージャーに迎え、カナダ出身のムーンドッグ・キングをパートナーにザ・ムーンドッグスThe Moondogs)を結成する[4]。翌1981年3月17日、ペンシルベニア州アレンタウンにてトニー・ガレア&リック・マーテルを破り、WWFタッグ王座を獲得[10]。カナダでの犯罪歴が発覚したキングがアメリカに入国できなくなると[4]ムーンドッグ・スポットを新パートナーに防衛戦を行い[11]、同年6月8日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、藤波辰巳&谷津嘉章の挑戦も受けた[12]

王座陥落後もスポットとのムーンドッグスでの活動を続け、NWAジョージア地区ミッドアトランティック地区プエルトリコWWCなどを転戦[3]1983年はアサシンズとしても活動したメンフィスCWAに登場、4月4日にファビュラス・ワンズスティーブ・カーン&スタン・レーン)からAWA南部タッグ王座を奪取している[8]

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バリー・ウインダムを攻撃するレックス(1985年)

1984年より揃ってWWFに復帰し、USエクスプレスバリー・ウインダム&マイク・ロトンド)、ブリティッシュ・ブルドッグスダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、キラー・ビーズ(ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)などベビーフェイスのタッグチームのジョバー1987年まで担当[13][14]。シングルでは1984年8月29日、トロントでのTVテーピングにてWWF世界ヘビー級王者ハルク・ホーガンのジョバーを務めたこともある[4]

1985年にはWWFを一時離れ、ビル・ワットの主宰していたMSWAに単独で参戦し、覆面レスラーザ・ナイトメアーThe Nightmare)に変身。5月22日のルイジアナ州シュリーブポートでのTVテーピングにおいて、リック・フレアーエディ・ギルバートの干渉によってミッドサウス北米ヘビー級王座をテリー・テイラーから奪取した[15]。翌1986年4月には、当時MSWAとの提携ルートを持っていた新日本プロレスに本名で初来日している(表記は「ランディ・コーレイ」)[16]

1987年1月、NWAのロード・ウォリアーズへの対抗馬としてWWFがプロデュースしたデモリッションのメンバーとなり、デモリッション・アックスのパートナーとして、ペイントレスラーデモリッション・スマッシュDemolition Smash)に扮する[4][17]。プレ・デビュー戦を行ったものの、長年WWFを主戦場としていたコリーはファンの間で正体が割れていたためメンバーから外されることになり、NWAから移籍してきたバリー・ダーソウが最終的にスマッシュ役に起用された[4][17]。WWF離脱後はスポットとも袂を分かち、デトロイト・デモリッションDetroit Demolition)を名乗って古巣のアラバマやテネシー地区で活動した[18]

以後、オットー・ワンツが主宰していたキャッチ・レスリング・アソシエーションなどへの転戦を経て、1990年WCWに登場。1991年には隻眼アウトローデッドアイ・ディックDeadeye Dick)に変身し、ダッチ・マンテルブラック・バートザ・デスペラードスThe Desperados)なる無法者ユニットを結成した[19]。活躍を果たすことはなかったものの、彼自身はこのギミックを楽しんでいたという[4]。引退後の1994年には、WWFのステロイド裁判に検察側の証人として出廷した[20]

2009年12月12日、ニュージャージー州のラディソン・ホテルで行われたオールドタイマーの表彰イベント "K&S Wrestlefest" に、ドリー・ファンク・ジュニアスーパースター・ビリー・グラハムスカンドル・アクバスティーブ・ウィリアムスビル・ダンディーらと共にVIPゲストとして出席[4]。公の場へ久々に姿を見せた。

2019年12月14日、69歳で死去[1]

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得意技

獲得タイトル

ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング / コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAガルフ・コースト・タッグ王座:1回(w / ジム・ダルトン)[5]
  • NWAコンチネンタル・タッグ王座:1回(w / ボブ・カーター)
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / ムーンドッグ・スポット)
  • WWC北米タッグ王座:1回(w / ムーンドッグ・スポット)
  • WWCカリビアン・タッグ王座:1回(w / ムーンドッグ・スポット)
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション

脚注

関連項目

外部リンク

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