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ラーマ10世
タイの国王 ウィキペディアから
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ラーマ10世(ラーマ10せい、タイ語: รัชกาลที่ ๑๐、1952年7月28日 - )は、タイ王国チャクリー王朝の第10代タイ国王(在位: 2019年10月13日 - )。ラーマ9世とその王妃シリキットの間の唯一の男子(長男:第2子)。
王太子在位時代より正式名称の一部からワチラーロンコーン(タイ語: วชิราลงกรณ, ラテン文字転写: Vajiralongkorn)と呼ばれる。ワチラロンコーン、ワチラロンコンなどとも表記される。
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略歴
要約
視点
1952年7月28日、ラーマ9世国王とシリキット王妃の長男(第2子)として王宮で誕生した。幼少期はバンコクで就学したが、1966年からイギリスへ留学し、キングスミード校およびミルフィールド校(サマーセット)で修学した。1970年にはオーストラリアに留学し、キングス校(シドニー)で豪陸軍予科課程を修めた。
王太子時代
1972年には王太子としての名称、ソムデットプラボーロマオーラサーティラートチャオファー・マハーワチラーロンコーン・サヤームマクットラーチャクマーン(สมเด็จพระบรมโอรสาธิราช เจ้าฟ้ามหาวชิราลงกรณ สยามมกุฏราชกุมาร)を父王より付与され、王位継承権を得た。
1972年には再びオーストラリアに渡りダントルーン陸軍士官学校(キャンベラ)で学ぶ傍ら、スコータイ・タンマティラート大学で人文学を修めた。1975年に帰国し、タイ王国陸軍の頭脳として陸軍内での役職が与えられたが、翌年1月から再びオーストラリアに渡り8ヶ月間軍事を学んだ。1978年にはラーマ9世の親衛隊として働くが、同年にはタイの仏教の伝統に従い、一時的に職を辞して出家している。
この後、アメリカ軍・イギリス軍・オーストラリア軍などとの共同軍事演習などを指揮し、軍部との繋がりを非常に強めた。1989年には、昭和天皇の大喪の礼などの公務にも参加した。
国王時代
2016年10月13日、父王・ラーマ9世の崩御を受け、プラユット・チャンオチャ首相が「ワチラーロンコーン王太子が新国王に即位する」ことを発表した[3][4]。ただし、「弔いと決意を固める時間が欲しい」との理由で、当面は即位しない意向を示したため、すぐに議会において、国王即位の承認手続きは行われなかった[4]。
11月29日には、内閣によるワチラーロンコーン王太子の国王即位要請が議会によって承認された[5]。12月1日、暫定議会議長による即位要請を受けこれを受諾、ラーマ10世としてタイ王国新国王に即位した[6](即位日は遡って10月13日)。
2016年12月の国民投票で新憲法案が承認されたが、ラーマ10世国王は署名を拒否し、一部の条文の修正を要求するという異例の対応を取った[7]。その後、2017年4月になって、ようやく国王の権限が強められたと解釈できる新憲法に署名し、憲法は施行された[8]。
2017年3月5日には、第二次世界大戦の戦没者慰霊のためにベトナムへの国際親善訪問(日程:2月28日 - 3月6日)をしていた日本の天皇明仁と皇后美智子(いずれも当時)が、ラーマ9世の弔問のためタイの首都バンコクに立ち寄った際に王宮を訪れた天皇皇后と会見した。その際、ラーマ10世新国王側の意向で通訳を介さず、3人のみで会話に臨んだ[9]。
即位後は王妃とともにドイツに一時滞在した。2017年6月10日にはミュンヘン郊外をサイクリング中に、ドイツ人の10代前半の少年2人よりエアソフトガンを用いてプラスチック製BB弾で狙撃されるという事件が発生した。弾はワチラーロンコーンには当たらず、タイ国内で大々的に報道されることもなかった[10]。2020年3月には2019新型コロナウイルス感染防止のための避難に伴い愛人である20人の女性を連れて全室を貸し切ったバイエルンのアルプスを一望できるホテルにて[11]、側近数百人とともに隔離生活を送っていたとされる[12][13][14]。
また折を見て本国に還御しており、2020年8月には母シリキット王太后の88歳の誕生日を祝うため24時間未満という短時間ながらタイに一時帰国している[13]。10月10日にはドイツ連邦議会におけるハイコ・マース外相の答弁の中で、ワチラーロンコーン国王はドイツの地からタイを統治するのをやめるよう苦言を呈されている[15]。10月以降は国内にとどまり、王室改革を求める異例のデモが続く中、イメージ回復のためとみられる動きを強めている[16]。その後、2021年11月8日に息子の滞在するドイツへと出国したが、1年余りのタイ滞在は異例の長期国内滞在とされた[17]。
全世界の31名の君主(「現在の君主の一覧」参照)の中でも「世界一裕福な王」として知られ、米エグゼクティブ向け雑誌によれば資産は430億ドル(約4.6兆円)で、イギリスのエリザベス2世女王の80倍とされる[11]。
2022年現在は、国内のドゥシット宮殿に滞在しており頻繁に公務もしている。
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貨幣
王立タイ造幣局は、ラーマ10世の肖像画の入った新バーツ紙幣を順次発行している。20バーツ、50バーツ、100バーツは2018年4月に、500バーツ、1000バーツは2018年7月28日に発行された[18]。
家族
要約
視点

2019年5月までに、4回の結婚と3回の離婚を経験している。
- ソームサワリー妃:最初の妃(婚姻期間1977年~91年)。シリキット王妃の実兄で最高行政裁判所長官を務めたアドゥンキット・キティヤーコーンの長女としてロンドンで出生。ワチラーロンコーン王太子の従妹に当たり、ラーマ5世の男系子孫で結婚前にもモームルワンの称号を所持していた。チェンマイのカトリック系女子校レジーナ・チェリ卒。離婚後も王族の一員として公務に従事している。
- スチャーリニー妃:2人目の妃(婚姻期間1992年~94年)。旧名ユワティダー・ポンプラスート。父はスントラポン楽団の音楽家兼作曲家。15歳~17歳のとき映画女優を務める。王太子妃として王子4人、王女1人を出産するが、離婚後は子供とともに国外追放されイギリス、のちアメリカで平民として生活。のち長女シリワンナワリー王女のみ、タイに帰国した。
- シーラット妃:3人目の妃(婚姻期間2001年~14年)。バンコクビジネスカレッジを卒業後の1993年、22歳でワチラーロンコーン王太子の侍女となる。2009年、トップレス姿のビデオ映像が流出し物議を醸す。2014年、親族7人の汚職を理由として離縁され称号を剥奪。故郷のサムットソンクラーム県に帰郷し、事実上の軟禁状態下でメーチー (Maechi、แม่ชี:女性仏教修行者)として生活する。
現在の配偶者
子女
- パッチャラキッティヤパー王女(1978年12月7日 - )…母はソームサワリー元妃
- シリワンナワリーナーリーラット王女(1987年1月8日 - ) …母はスチャーリニー元妃
- ティパンコーンラッサミチョト王子(2005年4月29日 - )…母はシーラット元妃、王位継承順位第1位(推定相続人)
王族籍にない子女
スチャーリニー元妃の息子であり、シリワンナワリーナーリーラット王女の同母兄弟にあたる。
- ジュタヴァチャラ・ウィワチャラウォン
- ワチャレーソーン・ウィワチャラウォン…アメリカ合衆国で弁護士をしており、2023年5月には弟チャクリワットとともに27年ぶりに一時帰国している[24]。
- チャクリワット・ウィワチャラウォン
- ワッチャラウィー・ウィワッチャラウォン
栄典
タイ王国
- ラーチャミトラーポーン勲章
- 大チャクリー勲章
- 九宝石勲章
- チュラチョームクラーオ勲章勲特等
- ラーマーティボーディー勲章勲一等
- 白象勲章勲特等
- タイ王冠勲章勲特等
- ディレークグナーポーン勲章勲一等
- ラームギーラティ勲章
- 勇敢記章
- 軍曹保護記章勲一等
- デゥサディーマーラー記章銀章
- 国境運行記章
- チャクマーラー記章
- ラーマ9世ラタナーポーン記章勲一等
- ラーマ10世ラタナーポーン記章勲一等
- ラーマ9世ラーシャルチ記章
- 赤十字褒賞記章勲一等
タイ王国以外
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系譜
ラーマ10世の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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関連項目
脚注
外部リンク
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