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レニングラード軍管区
ロシア連邦軍の部隊 ウィキペディアから
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レニングラード軍管区(レニングラードぐんかんく、Ленинградский военный округ;略称ЛенВО、Leningrad Military District)は、ロシア帝国陸軍、ソ連軍、ロシア連邦軍のロシア北西部における軍管区、統合部隊。軍管区本部は、サンクトペテルブルクに位置する。
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歴史
戦前
1924年2月1日、ソ連革命軍事会議令により、ペトログラード軍管区がレニングラード軍管区に改称。
1939年~1940年の冬戦争時、第7軍及び第13軍の指導のために、1940年1月7日、北西戦線(Северо-Западный фронт)が設立された。同年3月26日、北西戦線は解散され、再びレニングラード軍管区が編成された。
第2次世界大戦
独ソ戦勃発と共に、1941年6月24日、レニングラード軍管区は、北部戦線に改編された。同年8月23日、北部戦線は、レニングラード戦線とカレリア戦線に分離された。
1941年7月~8月、ヴェリーカヤ川河岸、後にルガ河岸及びカレリア地峡のラインにおいて、ドイツ軍及びフィンランド軍に対する防勢行動。同年9月、レニングラード封鎖。1943年1月18日、レニングラード及びヴォルホフ戦線の部隊は、レニングラードの封鎖を突破。
1944年1月、レニングラード、ヴォルホフ及び第2沿バルト戦線の部隊により、レニングラード及びノヴゴロド近郊でドイツ軍を撃破。同年夏から秋にかけて攻勢に転移し、バルト諸国の解放に参加。
戦後
1945年7月9日、レニングラード戦線はレニングラード軍管区に改編され、部隊は平時編成に移行した。
1968年2月22日、ソビエト軍創設50周年と関連して、レーニン勲章授与。
1992年から、平和維持活動のために各地に部隊を派遣。1994年~1995年、チェチェン戦争と関連して、北カフカーズ軍管区に部隊を派遣。
軍管区部隊及び保管基地には、戦車×333両、火砲×939門、戦闘装甲車両×500両、戦闘ヘリ×74機その他の兵器が装備されていた。
2010年9月20日西部軍管区へと改編された。
再編成後
2024年2月26日、プーチン大統領が西部軍管区をモスクワ軍管区とレニングラード軍管区に分割する大統領令に署名しレニングラード軍管区が再編成された[1]。
2024年9月2日副司令官が収賄容疑で拘束された。
再編後はロシアのウクライナ侵攻中でもあり軍管区司令官は同戦争における北部軍集団司令官を兼ねている[2]。
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編成
陸軍
![]() | この記事は更新が必要とされています。 (2024年3月) |
- 第25独立親衛自動車化狙撃旅団:旧第42保管基地。ウラジーミルスキー・ラーゲリ
- 第138独立親衛自動車化狙撃旅団:カーメンカ
- 第200独立自動車化狙撃旅団:ペチェンガ
- 第216保管基地:旧第75自動車修理工場。ペトロザヴォーツク。戦時には第4独立自動車化狙撃旅団に充足
- 第2独立特殊任務旅団(軍部隊64044):プロメジツ。スペツナズ
- 第9親衛砲兵旅団:ルガ。ウラガンx8門、ムスタ-Sx18門、MT-12x6門、シュトゥルム-Sx18門装備
- 第26ロケット旅団:ルガ。トーチカ装備
- 第1013防空指揮所:第6航空軍から移管
- 第5高射ミサイル旅団:ネニミャキ。モスクワ軍管区から移動
- 第56親衛管区教育下級特技兵訓練センター(軍部隊20160):セルトロヴォ
- 第212教育プロセス保障連隊:サンクトペテルブルク
- 第140親衛工兵連隊:ケロ
- 第95独立通信旅団:チョールナヤ・レーチカ
- 第132通信旅団:
- 第140独立後方通信大隊:
- 第60通信拠点
- 第1269独立電波電子戦センター:旧第29独立電波電子戦連隊:オストロフ
- 第10独立放射線・化学・生物学防護大隊:セルトロヴォ
- 第7014保管基地:ルガ。砲兵
- 第7022保管基地:ルプチェ・サヴィノ。工兵
- 第2124工兵修理基地:ソスノヴェツ
- 第2279工兵弾薬基地:ミャグロヴォ
- 第4998保管基地:通信兵
航空宇宙軍
- 第6航空・防空軍:サンクトペテルブルク
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準軍隊
戦時には、軍管区内に駐屯する他省庁の軍事組織も作戦統制下に置く。
歴代司令官
要約
視点
戦前
第二次世界大戦中
戦後
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脚注
関連項目
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