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ロマン・シロコフ

ロシアのサッカー選手 ウィキペディアから

ロマン・シロコフ
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ロマン・ニコライェヴィチ・シロコフロシア語: Роман Николаевич Широков, ラテン文字表記: Roman Nikolaevich Shirokov, 1981年7月6日 - )は、ロシアデドフスク出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー

概要 ロマン・シロコフ, 名前 ...
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経歴

クラブ

初期の経歴

FCゼニト・サンクトペテルブルク加入前は、FCヒムキサトゥルン・ラメンスコーエなど数々のクラブを渡り歩いた苦労人。

FCゼニト・サンクトペテルブルク

2008年、リヴァプールFCへ移籍したマルティン・シュクルテルの後釜としてゼニトに加入。加入当初はセンターバックとしてプレーしていたが、後にセンターハーフとしてプレー。2011-12シーズンはトップ下にコンバートされ、プレーの幅を広げている。

後述する度重なる問題行動が目立ったものの、2012年にはロシア人としてはコンスタンティン・ジリャノフ(2007年受賞)以来5年ぶりとなるロシア年間最優秀サッカー選手賞を受賞した。

2013-14シーズンは度重なる問題行動とルチアーノ・スパレッティ監督との確執もあり、2014年2月28日にFCクラスノダールへレンタル移籍した。

CSKAモスクワ

2016年7月13日にPFC CSKAモスクワとの契約が満了し現役引退することを表明した[1]

代表

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代表でのシロコフ

2008年3月26日ルーマニア戦 (0-3) で代表初キャップを刻んだ。この試合でインパクトを残すことができなかったが、所属クラブでのUEFAカップ 2007-08制覇に貢献したことで、EURO2008のエントリーメンバーに選出。グループリーグD・第1節スペイン戦 (1-4) ではスタメンを飾ったが、4失点で大敗した戦犯となり、セルゲイ・イグナシェヴィッチにスタメンを奪われてしまった。その試合以降、フース・ヒディンク体制終了まで代表での出場機会はなかったが、2010年8月11日、恩師でもあるディック・アドフォカート監督の初陣となるブルガリアとの親善試合 (1-0) で2年ぶりの代表復帰を果たし、決勝点となる代表初ゴールを挙げた。

2014年5月12日、2014 FIFAワールドカップに向けた代表候補メンバー30人に選出され[2]、キャプテンとして最終登録23人に選ばれたものの、同年4月26日のFCロコモティフ・モスクワ戦でアキレス腱を負傷し、その後も完治の目途が立たず手術を行う運びとなったため選考外となった[3][4]パヴェル・モギレヴェツが代わりに招集された。EURO2016においてはキャプテンとして3試合に出場。同大会が現役最後の舞台となった[1]

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人物

  • 既婚者で2児の父親であり、2008年8月26日に長男が、2012年8月21日に長女が誕生した。
  • 一方で、カッとなりやすい性格としても知られ、Twitterなどでの問題発言により、“ロシアのジョーイ・バートン”とも揶揄されている[5]
    • 2011年頃に、ライバルチームであるFCスパルタク・モスクワのことを“豚”呼ばわりをした。
    • 2011年10月7日のスロバキア戦で1-0で勝利し、この時点でスロバキアがEURO2012出場権が絶たれ、シロコフは彼らのことを“農夫の集まり”と称し、次戦のアンドラ戦ではスタメンから外される事態となった。
    • 2013年5月19日に行われたFCヴォルガ・ニジニ・ノヴゴロド戦で、前日にPFC CSKAモスクワがリーグ優勝を決めた後、「CSKAモスクワは優勝に値するチームだった」とツイートしたことが原因で、ファンから痛烈なブーイングを受けたことにより、試合終了間際にゴールを奪うとホームサポーターが陣取るスタンドに挑発的なポーズを起こしたことが原因で退場処分を受けた。
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個人成績

2015年11月14日現在
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代表での得点

さらに見る #, 開催年月日 ...

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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