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ヴァンダービルト杯

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ヴァンダービルト杯
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ヴァンダービルト杯Vanderbilt Cup)は、アメリカ合衆国自動車レースにおいて最初に創設されたメジャータイトルである。1904年から1937年まで米・欧対抗の国際大会として開催された。1960年以降はアメリカ国内の各種レースに賞典として懸けられている。

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1910年ヴァンダービルト杯、スタート直前の様子

沿革

要約
視点
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1915年ヴァンダービルト杯の優勝カップ(トロフィー

創設

ヴァンダービルト杯は大富豪ヴァンダービルト家の子息、ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世(William Kissam Vanderbilt II)により創設された。プライベートレーサーでもあるヴァンダービルトは、ゴードン・ベネット杯におけるアメリカ勢の不振を憂い、ヨーロッパから一流ドライバーや車両を招いてレースを行うことで、アメリカの自動車メーカーに刺激を与えられると考えた(欧州ではすでに多数の自動車メーカーが技術を競う場となり、自動車技術の発展に寄与していた)。彼はアメリカ自動車協会AAA)に多額の賞金と優勝杯を提供し、アメリカの自動車メーカーの参戦を望んだ。

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1910年ヴァンダービルト杯に参加したルイ・シボレー
(後のシボレー創設者)

1904年10月8日ニューヨーク州ロングアイランドナッソー・カウンティ(Nassau County)の田園地帯に公道コースを設けて、最初の大会が開催された。大西洋を渡って参加した欧州車を含めて17台が参加し、地元ロングアイランド出身のジョージ・ヒースがフランス製パナールに乗って優勝した。

公道コースのため当初より観客整理が問題となり、1907年は開催をキャンセル。ヴァンダービルトの出資により自動車専用道路(Long Island Motor Parkway)を建設し、コース設定に組み込むことになった。1908年にはロコモービルLocomobile)が優勝し、国際レースにおけるアメリカ車の初優勝を記録した。

1908年にはアメリカGPの前身となるアメリカン・グランド・プライズ(American Grand Prize)、1911年にはインディ500が創設され、国内3大タイトルが成立することになった。ヴァンダービルト杯は開催地を変えながら行われたが、アメリカの第一次世界大戦参戦により休止に追い込まれた。

1936年1937年にはルーズベルト・レースウェイ(Roosevelt Raceway)を舞台に一時復活し、アルファロメオメルセデス・ベンツアウトウニオンなどのGPカーが参戦するも、これを最後に国際レースとしての単独開催は終了した。

タイトル復活

1960年代以降、ヴァンダービルト杯はアメリカのモータースポーツ史上最古の権威として、各種ビッグイベントの優勝者、もしくは選手権チャンピオンに贈られるようになった。

チャンプカーのインディカー・シリーズへの統合に伴い、ヴァンダービルト杯は2008年以降再び休眠状態となっている。

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レースの勝利者

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ALCOを駆るハリー・グラント優勝の瞬間
(1910年ヴァンダービルト杯)
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1914年ヴァンダービルト杯、スタート直後
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1937年の勝者、ベルント・ローゼマイヤー
アウトウニオン
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関連項目

外部リンク

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