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一条実良

江戸時代後期の公卿。従一位・右大臣。一条家23代。母は家女房。子に益君(1862.7.20-1864.8.5、香林院)、瑞君(1865.9.1-1867.4.6、晴雲院)、奈良麿(1866.12.5-1868.8.6、奈良君、慶雲院)、範君(18 ウィキペディアから

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一条 実良(いちじょう さねよし)は、江戸時代後期の公卿左大臣一条忠香の子。幼名は嘉多丸。官位従一位右大臣一条家23代当主。法号は華厳光寺。昭憲皇太后明治天皇皇后)の異母兄。

概要 凡例一条実良, 時代 ...

横浜港の閉鎖などを建言する。慶応3年(1867年)12月に王政復古の大号令が発せられ、公武合体派であることを理由に参内を停止された。

経歴

嘉永元年(1848年8月7日に叙従三位安政5年(1858年)に権大納言となる。文久2年(1862年)に国事御用掛となる。

慶応3年(1867年)に右大臣となる。同年11月13日に叙従一位

慶応4年(1868年)、薨去。享年34。

系譜

備考

  • 京都の祇園祭の山鉾のひとつ・函谷鉾には、幼少期の実良(嘉多丸)をモデルにした稚児人形「嘉多丸君(かたまるぎみ)」が乗せられている。1839年に函谷鉾が再建された際、稚児に代わってはじめて稚児人形を乗せるにあたり、人形制作を依頼された大仏師の七条左京が左大臣一条忠香(実良の父)に相談したことによる。忠香は嘉多丸をモデルにすることを許可し、完成した人形に「嘉多丸」と命名した[1][2]

脚注

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