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一条能成

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一条 能成(いちじょう よしなり)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿藤原北家中関白家庶流一条家大蔵卿一条長成の嫡男。官位従三位非参議

概要 凡例一条能成, 時代 ...

経歴

母・常盤御前は、河内源氏の棟梁・源義朝の側室として全成義円義経を儲けていたが、平治の乱で義朝が敗死した後、子供達を連れて長成と再婚し、能成や女子を儲けた。

仁安2年(1167年)、5歳にして従五位下に叙爵する。その後は中級貴族として過ごすが、異父兄の義経が武人として頭角を顕すとこれに接近する。平家滅亡後、義経が異母兄の源頼朝と対立した後も、能成は義経と行動を共にし、文治元年(1185年)11月の都落ちの際には自らも武装しこれに随行したという(『玉葉』文治元年12月3日条)。翌月、義経派の廷臣の一人として頼朝により弾劾され、侍従職を解官されている。

義経の死から19年後の承元2年(1208年)12月、修理権大夫として政界に復帰。建保6年(1218年)従三位に叙され、父・長成の果たせなかった公卿昇進をしている。嘉禄元年(1225年)従三位・非参議のとき出家し、嘉禎4年(1238年)に薨去。享年75(『公卿補任』)。

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官歴

出典

関連項目

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