トップQs
タイムライン
チャット
視点
三条実治
江戸時代前期から中期の公卿 ウィキペディアから
Remove ads
三条 実治(さんじょう さねはる)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿。右大臣・三条公富の子。官位は従一位・左大臣。三条家22代当主。主に霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の三代に亘り仕えた。号は暁心院観照。
![]() |
Remove ads
経歴
三条公富の子として誕生。初名は季房・実通。
明暦元年(1655年)、叙爵。清華家三条家の当主として速いスピードで昇進し、寛文8年(1668年)には従三位となり公卿に列している。権中納言、権大納言、神宮伝奏、踏歌節会外弁などを歴任。天和3年(1683年)には霊元天皇中宮鷹司房子の中宮大夫となり、貞享2年(1685年)には右近衛大将を兼務。貞享4年(1687年)に中宮大夫を辞した。元禄2年(1689年)、実治に改名した。
元禄6年(1693年)に内大臣に就任したが、同年のうちに右近衛大将と内大臣を辞職。さらに宝永元年(1704年)には右大臣となったが、やはりすぐに辞職している。宝永2年(1705年)に従一位を授与された。正徳5年(1715年)に左大臣となったが、やはりすぐに辞職。
系譜
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads